『雨に唄えば』という題名は決まっていたものの…
“雨に唄えば”はアーサー・フリードが作曲家ナシオ・ハーブ・ブラウンとのコンビで生み出したヒット曲の一つである。一九二七年にロサンゼルスで上演された「ハリウッド・ミュージック・ボックス・レヴュー」のために作られた同曲は、MGMスター総出演の映画「ハリウッド・レヴュー」(’29)をはじめ、いくつかの映画の中でも歌われている。
それから二十年後、フリードはこの曲名を冠したミュージカル映画の企画を立て、一九四九年一月までにそのためのプロットを作らせた。内容は一九二八年にMGMが公開した無声映画「好いて好かれて」の翻案である。
映画のストーリーは次のようであった。綱渡り芸人の主人公がダンサーの女性と結婚するが、妻は映画スターの相手役に抜擢され成功への道を歩む。夫婦仲も危うくなった二人だが、主人公の大舞台に妻が駆けつけ最後はハッピーエンドになる。四十九年二月にMGMの製作予定作品リストに載った「雨に唄えば」は、一時、アン・ミラーが出演するとの情報も流れた。
しかし、フリードは脚本家を指名することもないまま、六月までにこの企画を中止してしまう。題名と自分の曲を使う方針だけは変えずに、全くのオリジナル脚本で作り上げることにしたのだ。その後の詳細は明らかではないが、ベティ・コムデンとアドルフ・グリーンが脚本の依頼を受けハリウッドを訪れたのは、翌一九五〇年の五月末だった。
二人を前にしたフリードは、「さて君たち、次の映画は“雨に唄えば”という題名になる。全部私の曲で作るんだ(48)」と言ったものの、それ以外のことは何も決まっていなかった。
「曲のイメージ」から作品の発想を得ようと試みた結果
二人にしてもシナリオ作りに何か当てがあるわけではなかった。グリーンは後に当時のことを次のように語っている。「僕らにわかっていたのは、映画のどこかで誰かが雨の中でこの唄を歌うんだろうなということだけだった(49)」二人は副プロデューサーのロジャー・イーデンスが弾くピアノや歌で、何時間もフリードの曲を聴き続けた。
曲のイメージからストーリーの発想を得ようと試みた。考えあぐねた末にたどり着いた先は、曲が作られた一九二〇年代末から三十年代始めのハリウッドだった。ちょうど無声映画がトーキーに移行する時期である。
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