発音教室に通っても、リナの悪声は矯正できなかった…
トーキー映画の撮影に向けドンもリナもそれぞれ発音教室に通うが、リナの鼻にかかった高音の悪声や訛りの強さは矯正できない。
いざ「闘う騎士」のトーキーでの撮影が始まると、録音のトラブルで現場は大混乱に陥る。完成後、公開試写が行われるが、リナの悪声や無駄に大きい効果音のため客席は嘲笑に包まれる。
散々な結果にドンは将来を悲観するが、コズモとキャシーは映画をミュージカルに作り変え、リナの声はキャシーが吹き替えることを思いつく。
社長のシンプソンを説き伏せた彼らは、題名も「踊る騎士」に変えて撮影を行う。ドンとキャシーが結婚を考えていることを知ったリナは、契約を楯にキャシーを今後も自分の吹き替え専門にするようシンプソンを脅す。
映画はプレミア興行で大喝采を浴びるが、舞台袖でリナはキャシーに吹き替え専門で使うと宣言する。一人で舞台挨拶に立ったリナは、客席からの要望でその場で歌うはめになる。
嫌がるキャシーを幕の後ろに立たせて歌い始めるリナだが、袖にいるドン、コズモ、シンプソンの三人は音楽に合わせて幕を開け、吹き替えであることをばらす。
その場にいたたまれないキャシーは劇場から出て行こうとするが、ドンの歌に呼び戻されハッピーエンドで終わる。
1951年当時はジーン・ケリーの「絶頂期」
脚本の完成後、二人は舞台の仕事のため一旦ニューヨークへ戻った。一九五一年一月に「巴里のアメリカ人」の撮影が終わると、再びMGMにやって来た二人はジーンに脚本を読み聞かせた。
コムデンとグリーンによると、当時のジーンは、
「……まあ当然のことだけど絶頂期で、皆が彼に全幅の信頼を寄せていた。もし彼がカフカの”変身”の映画化を希望して、目玉は“百万弗の脚線美を誇るゴキブリのバレエ”だと言えば、スタジオは良い企画だと思って彼の言うとおりにしただろう(50)」
すぐに興味を示したジーンは、ドーネンも含め四人でアイデアを練り、それを元にコムデンとグリーンが脚本を修正した。ドンの相棒でピアノ弾きのコズモに、フリードは当初オスカー・レヴァントを考えていた。
しかし軽快で皮肉な笑いに満ちたこの作品には、もっと軽やかな演技のできる役者が必要だった。しかもジーンは一緒に踊れる人材を求めていた。
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