1989年の世界時価総額ランキング結果から見えること
1989年(平成元年)の「世界時価総額ランキング」上位に入った日本企業を見ると、銀行や電力会社などが多いのが目につきます。32社のうち12社が銀行、3社が電力会社、2社が証券会社、損害保険会社と不動産会社が1社ずつ入っています。
要は日本経済が”バブル状態“にあって、そうした会社の持つ資産(現預金・株券や不動産)評価額が時価総額を押し上げたのです。
「なあんだ」と思われるかもしれませんが、この時代の日本企業は(資産評価額を差し引いても)確かに世界から、羨望の眼差しを向けられていました。
トヨタ、ホンダ、日産、ヤマハ、スズキ、カワサキ、パナソニック、三菱、東芝、日立、NEC、富士通、ソニー、ニコン、キヤノン、ブリヂストン、富士フイルム、シャープ、オリンパス、任天堂……etc.枚挙にいとまがありませんが、その当時の日本企業(とくに製造業)は、その品質の高さとブランドで間違いなく世界をリードしていました。
これらの企業が世界経済のスターダムにのし上がり、当時の確固たるブランド力を築いたのは「高度経済成長期」に果敢に挑戦したからでした。
先に挙げた日本の企業群は創業年代こそまちまちで、中には戦前に創業した企業もありますが、敗戦によって多くの企業が”リセット”に近い再出発を余儀なくされています。
ベンチャー企業だったホンダの挑戦を後押ししたのは…
例えばソニーは、1946年(昭和21年)に創始者の井深大と盛田昭夫が資本金19万円で興した「東京通信機」が始まりです。当初は従業員の給与支払いさえもままならない綱渡りの経営でしたが、資産家だった盛田の父(愛知県知多半島で350年以上の歴史がある造り酒屋の14代目、盛田久左衛門)が名古屋の土地を売って資本金を出したことで資金を得て、日本初のテープレコーダーを開発しました。
ホンダはソニーと同じ1946年(昭和21年)、本田宗一郎が仲間を集めて設立した本田技術研究所が前身です。自転車に小さな燃料タンクと補助エンジンを付けるアイデアを基に試作を重ね、翌年に手持ちの自転車に後付けできる動力キット「Honda A型」を完成。この成功を基に1948年(昭和23年)に本田技研工業が誕生しました。資本金100万円、従業員は20人だったといいます。
ちなみにその4年後の1952年(昭和27年)、第2次増資で資本金を600万円にした年に、ホンダは世界に打って出るため総額4億5000万円もかけて当時最新鋭の外国製工作機械を購入する計画を立て、実現してしまいます。
この無謀とも言える資金を融通したのは、三菱銀行であったそうです。銀行がベンチャー企業にこれだけ大胆な投資をしていた時代があったことに驚きを隠せません。三菱銀行の流れを汲む三菱UFJ銀行は、今日でもホンダのメインバンクです。
企業の成長には挑戦を支えた資金調達ストーリーがある
こうした企業の創業秘話/開発ストーリーは、たくさん書籍も出ていますし、企業のHPに載っていたりもします。
読んでみると戦後から高度経済成長期の日本企業が「世界に追いつけ、追い越せ」と切磋琢磨しながら、日々たゆまぬ努力を重ね、挑戦していたことが分かります。そして(これはあまり知られていないことでもありますが)、その挑戦を後押しする資金がどこかしらから出ていたのです。
先に述べたソニーの場合は盛田久左衛門ですし、ホンダの場合は三菱銀行でした。なぜここで資金調達の話を持ち出したかというと、起業から創業当初の経営とはすなわち資金調達がすべてだからです。