麻酔科医から在宅医へと転身した矢野博文氏は書籍『生きること 終うこと 寄り添うこと』のなかで、「最期までわが家で過ごしたい」という患者の願いを叶えるために、医師や家族ができることは何か解説しています。

 

そして結局堀田さんの場合は、胃瘻を造設することとなりました。

 

「日々痩せ細り、弱っていく義母を見るに忍びなく、決断しました」

 

と退院後太郎さんが明かしてくれました。

経口摂取は行わず、すべて胃瘻栄養となった堀田さん

七月には退院し再び自宅療養に移行した堀田さんは、経口摂取は行わず、すべて胃瘻栄養となりました。

 

その結果、身体の栄養状態はみるみる改善し、反応もよくなりました。声を出して笑う、時々は会話が成立する、テレビを観ながら出演者に文句を言うなど、今までには想像もできなかったような精神活動の改善が認められました。

 

退院してから一年後には体重が増加し、栄養剤注入を減量しました。しかし胃瘻造設から約二年後、堀田さんの身体状態に陰りが見え始めました。娘さんが呼吸状態の異変に気づいたのです。

 

夜間に一〇秒程度の無呼吸が頻回に出現し始めました。また入眠中に咳込みが目立ち始め、時々発熱が認められるようになり、唾液を誤嚥している可能性が考えられました。

 

さらに反応性の低下、無呼吸に続く低酸素血症、血液検査上の心不全の悪化などが次々に起こりました。太郎さんは、

 

「胃瘻を造ったとき、本当は終わっていたはずの命をこうやって延ばすことができてよかったです……」

 

と語りました。一方、娘さんは、

 

「今でも胃瘻を造ったことがよかったのかどうかわかりません……」

 

と話してくれました。家族の中でもいろいろと葛藤があったことが想像されました。しかし、二人ともそろって、

 

「今度は病院には行かず、家で最期まで看ます」

 

と言ってくれました。

 

私たちは堀田さんの下り坂の傾斜を何とか減らすべく、栄養剤の減量、抗菌薬や利尿薬の投与など、いくつかの抵抗を試みましたが、堀田さんは次第に衰弱していき、娘さん夫婦に見守られながら静かに旅立ちました。

 

 

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矢野 博文

 

1957年7月徳島市生まれ。1982年川崎医科大学を卒業。以後病院で麻酔科医として勤務。2005年3月よりたんぽぽクリニックで在宅医療に取り組む。

 

 

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本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『生きること 終うこと 寄り添うこと』より一部を抜粋したものです。最新の税制・法令等には対応していない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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