色覚異常は「隠すべき遺伝病」ではなく「個性」
日本では、遺伝病を嫌う風潮があり、本人も家族もそれを隠そうとしがちです。そのためか先天色覚異常の場合も、周囲に隠して生活している人が多いという傾向があります。それは日本が過去に、血統を重んじる社会であったからかもしれません。しかし現代においてはまったくナンセンスな考え方であるといえます。
欧米では、病気が遺伝のせいだとわかった際に、親はほっとするといいます。親の行った行為の結果として子どもが病気になったのなら親の責任は重大だが、遺伝性という自らの力ではどうしようもないことであれば、責任はないと考えるからです。もちろんだからといって放置したりはせず、できる限りのことはするでしょうが、自分を責めたり、恥ずかしく感じることはないのです。
先天色覚異常は、日本では男性の約5%存在します。自覚できているのなら個性に近いものとして扱ってもよいのではないかと思われます。
また人と色の見え方が違うことで、独自の色彩感覚が生まれることもあります。過去の偉大な画家の中に色覚異常の人がいたという説を耳にしますが、確証はないにしろ、可能性としては十分ありうることです。
過去には色覚異常の人に対し、さまざまな社会的差別がありました。その背景もあり、「色覚異常は治療できる」と謳(うた)って、薬や注射といった治療薬を高額で売りつけるようなこともありましたが、これらはすべて医学的な根拠のない、詐欺まがいの手法でした。
ちょっと怪しいとは思っても、就職試験などを控え、わらにもすがりたいような気持ちで試してみた人も多かったことでしょうが、残念ながら効果があったとは考えられません。
また、過去には光を使った目の訓練や低周波療法などいくつかの治療法が考案されてはきましたが、いずれも信頼に値する成績は出ていません。現在ではこうした治療法は存在しないはずですが、万が一そのような治療を見つけたとしても、間違いなく詐欺ですから手を出さないでください。
色覚異常によるミスを「予測・回避」することが重要
一方で、色覚異常であっても問題ないという人もいますが、これも間違いだといえます。自分が色が不得意だと気づいていなければ、自分やまわりの人を危険にさらすことにもつながるからです。先天色覚異常が明らかになったならば、色覚の向上は望めなくても、それ以外の対策は立てられます。
生まれつきの異常がない人でも、年をとると色覚低下をきたします。高齢社会を迎えた現在、実は加齢による色覚異常が原因で仕事がスムーズに進まないケースは広く存在している可能性が高く、私たち眼科医も、加齢による色覚異常の影響を大きく受ける職業のひとつであるといえます。
たとえば眼科医が加齢による色覚異常によって、目の出血の判定がしづらくなった場合、症状を自覚していれば写真を拡大したり、注意して見るなどの対策が立てられますが、これは先天色覚異常者が眼科医を目指す時も同じです。
自らの不利を自覚できれば、ミスをあらかじめ予測し、カバーすることができるのです。将来に制限を受けるというのは、誰でも嫌なものです。ただし、少し見方を変えれば、あらゆる人が将来に制限を加えられている中で、職業を選んでいると考えることもできます。
選択肢が狭いからこそ「一流の人になれる」という強み
たとえば、どうしても相撲取りになりたいと思っても、体格的に基準をクリアできなければ、相撲取りになることはできません。泳ぎが得意で、学生時代は水泳の選手であったとしても、そこからプロのスイマーになれるのは天賦の才を持つごくわずかな人だけであり、多くの人はその道をあきらめることになります。
先天色覚異常の大学生が、私にいったことは、「将来に関して選択の幅は狭くなるかもしれないが、それならそれでかえって目移りをしなくて良く、目標に向かって努力しやすい」ということでした。
確かに、たとえ平均的な能力の持ち主であっても、狭い分野に対し「自分にはこれしかない」と考えて徹底的に努力し続ければ、その方面の優れた人材になることができます。
逆に、将来さまざまな道を選べる余裕があるほど恵まれていても、その選択肢の広さ故に努力が分散し、何物にもならなかったという人もいるでしょう。
どういう人生を送るかというのは、いわば気の持ちよう。悲観視すれば好条件の仕事もつまらなく見え、楽観視すればたとえ他人からすると悪条件の仕事であっても、きっとおもしろみを見つけられ、一流になれます。
先天色覚異常であっても、正しい対策をたてて楽観的であることで、自らが充実した人生を送ることができるのは間違いありません。
市川 一夫
日本眼科学会認定専門医・認定指導医、医学博士