市場は「経済合理性限界曲線」の内側しか解決できない
ミルトン・フリードマンに代表される市場原理主義者は、政府は余計なことはせずに市場に任せておけばあらゆる問題は解決していくと主張したわけですが、それは経済合理性限界曲線の内側にある社会課題だけで、ラインの外側にある課題は原理的に解決できません。なぜなら市場とは「利益が出る限り何でも行うが、利益が出ない限り何も行わない」からです。
たしかにフリードマンらが指摘するように「市場が解決できる問題」について、市場はもっとも効率的にその問題を解くでしょう。実際に「長い近代」を通じて、私たちの社会が向き合ってきた「普遍性の高い問題」のほとんどは市場の働きによって解決してきました。
ところが先述した通り、そのような営みを続けていけば、どこかで「経済合理性限界曲線」の崖に突き当たり、「課題の探索空間」はそこで終焉してしまい、崖の向こう側にある「普遍性の低い問題」あるいは「難易度の高い問題」については未着手のままに放置されることになります。ここに市場原理主義の限界があります。
難病、貧困…解決を市場原理に任せる時代は終わり
抽象的なのでなかなかイメージができないかもしれないので具体例をあげましょう。
「安全で快適に生きるための物質的基盤の整備はほぼ終了した」と指摘しました。ここでわざわざ「ほぼ」という副詞を用いたのは「取り残された人たち」が存在しているからです。
国立社会保障・人口問題研究所による2017年の調査によれば、「過去1年以内に経済的理由で食品が購入できずに困窮した経験をもつ」世帯は13.6%となっています。毎日の食事というのはまさに最優先されるべき「物質的基盤」ですが、そのような欲求を経済的理由で充足できない状況にある人々がいるのです。当事者の方々がどれほどの心細さを抱えているかを想うと本当に心が痛みます。
あるいは「子供の貧困」という問題についても同様です。現在、我が国の子供の貧困率がOECD諸国で最悪の数値となっており、さらに明確な悪化トレンドにあることをご存じでしょうか? 子供の相対的貧困率は、1985年の10.9%から2015年には13.9%へと悪化しています。民主主義を一応は標榜している国においてこのような問題が悪化しつつあり、しかも多くの人がその事実に対して無関心である、というのは実に恥ずべきことだと思います。
あるいは「希少疾病」という問題もまた「経済合理性限界曲線の外側にある問題」と考えることができます。「希少疾病」とは「罹患する人が希少な病気」のことです。我が国の場合、具体的にその定義は「5万人未満」となっています。ガンの罹患者数はだいたい年間でほぼ100万人ですから、希少疾病の罹患者数というのはその20分の1以下ということになります。
1億人人口がいる国での5万人未満ですから、これを出現率で表せば0.05%未満ということになり、先ほどの枠組みでいう「普遍性の低い問題」に該当します。これはつまり、このような問題に取り組んでも株主が喜ぶような大きな売上や利益は期待できない可能性が高い、ということを意味します。
一方、難病に対する治療法・特効薬の開発は、つねに「極めて難易度の高い問題」となりますから、投資額は大きくなる上、そもそも開発に成功するかどうかも確かではありません。つまり「期待できる売上は小さいのに、必要な投資は巨大であり、かつ不確実性も高い」という営みだということです。
現在の社会システムを前提にしていれば、このような営みにはなかなか大きな予算がつきません。なぜなら株主資本は不確実性を非常に嫌がるからです。結果として、このような問題は「経済合理性限界曲線の外側」に位置することになり、資本主義社会に生きる人々は「経済合理性の大陸の崖っぷち」に立っていて、彼方の海上に浮かぶ巨大な「問題の島」を眺めることしかできません。
しかし、重い病気はつねに当事者とその家族にとって人生を大きく左右する切実な問題であり、これを「普遍性が低い」「難易度が高い」と言って放っておくことは社会として倫理的に許されません。一人一人の人間の「生」にはゆるがせにできない尊厳があるのですから、それがどれほど希少で治療の難しい疾病であろうと、社会がその問題を放置することは本来、許されないことです。
市場原理に任せておいても、このような問題は「経済合理性限界曲線」の外側にあるため、解決できません。
山口周
ライプニッツ 代表
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