GDPに貢献しないGAFAMのサービス
同様のことがGAFAMのサービスについても言えます。たとえばFacebookの売上のほとんどは「広告」です。最新の決算(2020年第1四半期)を確認すれば、総売上高177億3700万ドルのうち、広告による売上高が174億4000万ドルとなっていますから、ほぼすべての売上を広告に依存していると言っていい。
これはつまり、何を言っているかというと、これらの企業の売上は、それまでテレビ・新聞・雑誌・ラジオといった従来型のメディア企業があげていた売上を単に奪っただけでしかなく、少なくともGDPという観点からは、全体のパイを広げることに貢献していない可能性がある、ということです。
実際の数値を確認してみればそれがよくわかります。たとえば、売上のほぼすべてを広告に依存するYouTubeやFacebookが日本市場に導入される直前の2007年、日本の広告市場規模の総額は7兆191億円でした。ではこれらのサービスが爆発的に浸透した結果、広告市場は活性化したでしょうか?いや、結果はむしろ真逆で、2018年にはその数値は6兆5300億円へと7%も縮小しています。
これらのサービスは社会に広く浸透し、私たちの生活を大きく変えたように思えるわけですが、ではそれがどれほどの経済価値の創出につながったのかという点を考えてみれば、評価はかなり微妙なモノにならざるを得ません。なんと言っても広告市場全体としてのパイは増えておらず、むしろ減っているのです。おそらく、こういったサービスがまったく存在しなかったとしても、日本の広告市場は同様の規模をずっと記録したはずです。
イノベーションによる失業が、格差を拡大させる
このような指摘に対しては「数値で確認できる以上のもの、たとえば人と人とのつながりがもたらす幸福感や豊かさなど、筆者がまさに21世紀において重要になる、と指摘している効用を計量していない」という批判があるかも知れません。
これはなかなかに難しい問題で短兵急に答えを出すことは控えたいと思いますが、Facebookなどのソーシャルメディアへのアクセスを遮断した場合、どのような変化が起きるかを調べた実験の多くは、遮断の結果、幅広い幸福度・生活満足度に関する項目の評価が上昇したということはここに付記しておきます。
これはつまり、こういったソーシャルメディアへのアクセスによって、むしろ本人の幸福度・生活満足度は毀損されているということを示唆する結果と言えます。
イノベーションが経済成長に貢献せず、幸福度・生活満足度の上昇にも貢献していない一方で、これらのイノベーションが社会に実装されることでお払い箱になる人を生み出しています。以前はたくさんいた駅の切符切りのお兄さんや高速道路の収受員のお爺さんはどうなったのでしょうか?みんな仕事を失ったのです。
そして多くの場合、容易に機械化が可能な仕事についている人ほど、労働市場で高い報酬の仕事を得る機会に恵まれておらず、イノベーションの実装によって失職するたびに条件の悪い仕事に就かざるを得ません。これが格差の拡大をもたらすことになります。
ここ20年ほど、特にアメリカでは、なぜ景気の循環にかかわらず、格差の拡大に歯止めがかからないのかということが喧しく議論されてきましたが、理由の1つとしてイノベーションによる失業が格差を拡大していると考えることができます。
これだけ社会が躍起になって求めているイノベーションが「富の移転」しか起こさず、結果として失業と格差の拡大しかもたらさないのだとすれば、私たちが必死になってやっていることはいったい何なのかと、考えさせられます。
このような指摘については、往々にして「かつてのラッダイト運動を思い出してみろ、自動織機によって失職した職人も、やがては産業革命の生み出した新しい仕事に従事して結局は豊かになったじゃないか」という反論があります。
しかし、第1次・第2次産業革命の起きた時代は、まだまだ世界にたくさんの不安・不満・不便が残存していた時代です。このような時代であれば、失職者は新しく生まれた産業の労働力となることができたでしょうが、私たちはすでに文明化の終わった高原に到達しており、生きていく上でこれといった物質的な不満を抱えなくなっています。
社会におけるイノベーションの価値は文脈によって大きく変わることになるのですから、現代におけるイノベーションの位置づけを200年前のそれを同列に論じるのは、率直にいって無理があると思います。
山口周
ライプニッツ 代表