求められるのは「文化的豊かさを生み出すビジネス」
WHO(世界保健機関)は2017年、全世界的に増加傾向にある鬱病が、21世紀中に先進国でもっとも深刻な疾患の一つになる可能性を警告しましたが、これは文明化の終了という問題と密接に関わっています。
私たち人間は「意味」をエネルギーにして生きていますから、意味も意義も感じられない営みに携わって生きることはできません。私たちの社会が今後、大きな危機を迎えることになるのだとすれば、それは経済的な衰退や物質的な不足などではなく、間違いなく「意味の喪失」という問題によって引き起こされることになるでしょう。
近代化によって物質的豊かさを獲得した人々が、この「意味の喪失」という状況に陥ることを予言したのが19世紀の哲学者、フリードリヒ・ニーチェでした。ニーチェは、物質的豊かさが増していく一方で、科学の勃興によって宗教という規範の解体が進んでいく世界において、市井の人々が「意味の喪失」という重大な病に侵されることを予言しました。
ニーチェによれば、意味を喪失した人々はニヒリズムに陥ることになります。では「ニヒリズム」とは何でしょうか? それは「何のために? という問いに答えられない状態だ」というのがニーチェの回答です。
ニヒリズムとは何を意味するのか?…至高の諸価値がその価値を剥奪されているということ、目標がかけている。「何のために?」という問いへの答えが欠けている。
フリードリヒ・ニーチェ「力への意志」
古代ギリシアにおいて価値あるものと認められた「真・善・美」といった「至高の価値」が剥奪される一方で、では「何のために?」と問われればそれに対する答えは見つけられない状態、それをニーチェはニヒリズムと名付けたわけです。ニーチェによるこの「ニヒリズムの定義」が今日の社会の状況を驚くほど正確に言い表していることに戦慄を禁じ得ません。
「物質的豊かさを提供して社会から貧困をなくす」ことをビジネスの目的として掲げれば、9割の人が物質的に満足している状況において「何のために我々は存在するのか」という問いに答えることはできません。いや、これは何も個社に限った話ではありません。
ビジネスの使命を「社会における物質的な不満・不足の解消」と定義するのであれば、これまでに確認してきた数値はまさに「ビジネスはその歴史的使命を終えつつある」ことを示しています。
ではこの「祝祭の高原」において、私たちは何をすれば良いのでしょうか?それは「文明的豊かさを生み出すビジネス」から「文化的豊かさを生み出すビジネス」への転換です。
ここまで確認した通り、古代以来、私たちの社会が宿願として掲げてきた「物質的不足を解消する」という課題はすでに達成されました。これは素晴らしい偉業なのですからしっかりと祝祭した上で、その終焉をきちんと受け止め、新しい千年紀に向けてどのような価値を社会に実装していくのか、という問題を考えなければいけない時期に来ている、ということです。