なぜ、認知症なんかになるんだ――。物を失くす、使えなくなる、物忘れが増える……。刻々と変わりゆく妻の様⼦に⼾惑う⽇々について、棚橋正夫氏は書籍『認知症介護自宅ケア奮闘記 私の知恵と工夫』で記しています。

「私に何で言うてくれないの」と強く反抗…

2015年の4月のことだった。妻は、要介護1に認定されたが、実際は、それ以上のように思えた。

 

毎日のように、繰り返される言葉を挙げると、
「おばあさん、どこ行った」
「お母ちゃん、どこ行った」
「犬、どこ行った」
「実家に帰ります」

 

それも夕方から夜中に言うことが多かった。一番困ったのは、真夜中にピョコンと半身を起こして言うので、その対応にとても苦労した。

 

(※写真はイメージです/PIXTA)
(※写真はイメージです/PIXTA)

 

例えば「おばあさんは、亡くなったよ」と答えると「さっき、そこにいたわ」と言う。本人には見えているので失敗した。そのうち、寄り添う言葉の工夫ができるようになり、その場を、うまくおさめることができるようになった。

 

「おばあさん、どこ行った」は、老衰で1981年に84歳で自宅で亡くなった私の祖母のことだ。妻は、自分の母親のように面倒を良く見てくれた。寝込んでから亡くなるまでの1カ月余り、毎日、祖母の好きな卵入りのお粥を作りスプーンで時間をかけて食べさせてくれていた。

 

また、紙パンツのない時代なので、排泄ケアは布おむつだった。大小の排泄処理で、布おむつの取り替えから、その洗濯までとても大変だった。嫌な顔ひとつ見せずに優しく尽くしてくれた。それだけに強い印象を持っていたと思う。

 

「おばあさんは、30年前に亡くなった」と正直に答えると、「えっ、亡くなった? そんなこと、私、知らないわ? 私に何で言うてくれないの」と強く反抗された。

 

その後は、寄り添う言い方に変えた。「おばあさん。どこに行ったんやろか。もしかしたら、買い物かもしれない。もうすぐ帰ってくるから、それまで待ってよか」と言うと、素直に従った。真夜中の場合は、「夕べ京都に帰ったわ。お前寝ていたので、豊ちゃんによろしくと言ってたよ。明日またここに来るよ。今日は、もう遅いから寝ようか」と言うと素直になってくれた。

 

「お母ちゃんは、どこ行った」は、妻を24年間育てて苦楽を共にした実母のことだ。それだけに一番記憶が強いのかもしれない。

 

「昔亡くなったやろ。お前と一緒にお葬式に出席したやん」と本当のことを言うと、「えっ。お母ちゃんが亡くなった。そんなこと、私、知らんわ。お葬式も行ってないし覚えてへん。お父さんは、何で私に隠すの? 信用できへんわ」と反論されて困った。

 

その後、寄り添う言い方に変えた。

 

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本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『認知症介護自宅ケア奮闘記 私の知恵と工夫』より一部を抜粋したものです。最新の税制・法令等には対応していない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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