装飾や什器類の柄はすべて竹をあしらった
何としても手に入れたいと人脈を駆使する。知人に紹介された天龍寺管長に、もう一度地主の説得をしてもらうことにした。
相手が管長とあっては、地主も嫌とは言えなかったようである。土地を売ることを了承した。ただし、売値は50万円。貯金を全額はたいても足りなかったが、ここでもまた管長が助け舟を出して、不足分を貸してくれた。
彼は『アチャコ青春手帖』の大ファンだという。そのため最初から千栄子に好意的で、この他にも保証人になるなど、様々な便宜を図ってくれた。
そのおかけで、この後は建設計画がトントン拍子に進む。
「やっぱり、縁のある場所だったのやろか」
自分は何かに呼び寄せられてここに来た。そんな気にもなり、なおさら土地に愛着がわいてくる。
昭和28年(1953)の秋には建設工事がはじまった。
貯金は土地購入で使い果たし、建設費のほうは分割払いにしてもらうことに。お金のほうは心配ない。この年の8月には『祇園囃子』でブルーリボン助演女優賞を受賞したのだが、その効果もあり、各映画会社から出演依頼が殺到している。
さらに忙しくなった千栄子だが、それでも仕事の合間を見つけて建設現場には頻繁に足を運んだ。
しだいに形になってゆく建物を眺めていると心が躍る。今日の仕事の報酬が家の柱や壁になり、自分の城を造りあげてゆく。そう思えば、仕事へのやり甲斐がさらに高まる。
ついに、昭和31(1956)の春に建築工事は完了した。石垣に囲まれた門をくぐり抜けて敷地に入ると、竹林の間に通された石畳の小路がある。小路は母屋へと続いていた。母屋の裏手には小倉山を借景とした自慢の庭園があり、庭の中には裏千家の宗匠に監修してもらったという、自慢の茶室「双竹庵」も建てられている。
館内の装飾や什器類の柄はすべて、竹をあしらったものにしてある。
幼い頃の千栄子は、嫌なことがあると、すぐに実家の裏にある竹林に隠れたという。仲の悪い継母がいる家のなかは居心地が悪い。昼間も薄暗くて姿を隠すにはもってこいの竹林は、最も安心して過ごせる場所だった。
あの頃の記憶は鮮明に残っており、いまも竹を見ると気持ちが和む。せっかく自分の家を建てるのだから、好きなものに囲まれて暮らしたかった。
青山 誠
作家
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