デジタルに関する素養とスキルはまったく異なる
デジタルに関する「スキル」よりも「素養」を重視する
日本の小学校では、今年(2020年)からプログラミングの授業が始まったと聞いていますが、私は、デジタルに関する素養とスキルはまったく同じものではないと考えています。「スキル」というのは、求められていることを時間内に、そして一定の条件の下で素早く正確にこなせるようにすることです。ある条件下で時間内に仕事を完成させるための「設計図」を書くことができるのは、立派な能力です。
しかし、私はそのようなスキルよりも「素養」(平素の学習で身につけた教養や技術)を重視しています。その主な理由は、ほとんどの子どもたちがメディアリテラシーの単なる受動的な読者ではないからです。実際、子どもたちはクリエイターでもあります。もしかすると、私よりSNSのフォロワーが多い子どももいるかもしれません。
私は子どもたちにイノベーションのパートナーになってほしいと思っています。指示された後に情報を探し始めるような子どもにはなってほしくないのです。そのために必要なのは、「スキル」ではなく、「素養」なのです。
子どもたちが、「自分が興味のある問題や公的な問題を解決する以外の目的で、プログラミング言語を学ぶ」というのは、外国語を学ぶときに辞書に載っていることを完璧に暗記するようなものです。そんなことをしても必ずしも役に立つとは限りません。自分の関心を脇に置いてプログラミング言語を学ぼうとすることも、それと同じ行為です。
ただし、プログラミング言語ではなく、プログラミング思考を学ぶのであれば、話は別です。プログラミング思考とは、「一つの問題をいくつかの小さなステップに分解し、多くの人たちが共同で解決する」プロセスを学ぶことです。「最初から最後まで一人の力で解決方法を考える」やり方とは異なる方法を学ぶことで、どの分野でも通用する「問題解決の方法」が身につくでしょう。
もし、私が小学生だとすると、小学校の先生にはプログラミング思考、つまり「一つの問題を小さな問題に分け、複数が共同で解決する」という方式を、別の教科の授業にも取り入れてほしいと思います。要するに、プログラミング教育とは、「子どもにプログラミング言語を無理やり暗記させるようなものではない」ということです。
台湾では、数年前から小中学校でプログラミング教育が始まっています。ただ、実際はそれぞれの学校がそれを行えるかどうかを判断し、実施の是非を独自に決めています。台湾の場合、中学生の段階でやや専門的なプログラミング課程を学びます。それに対し、小学生の段階では、プログラミングのための素養を育てる課程を重視しています。
プログラミングの素養を育てる課程とは、それぞれの科目で先生たちが教えている内容を、プログラミングを使って教えるようなことを指します。たとえば、キーボードを打つことができなくても使うことができる入門用の「Scratch」というプログラミングソフトがあります。
このソフトを使えば、音符の形をしたブロックをタブレットやモニター上でドラッグ&ドロップするだけで、いろいろなメロディが演奏されます。そのため、音楽の授業でこのプログラミングソフトを活用することができるのです。