千栄子の大阪弁には古き良き時代の大阪の風情が
大阪弁は地域によって、単語やイントネーションに違いがある。
たとえば同じ大阪中心部でも、歓楽街である道頓堀界隈の言葉は「島之内言葉」と呼ばれ、それより少しだけ北側にある商業地域の「船場言葉」とは微妙に違う。
現在の大阪弁は、島之内言葉や船場言葉とはまったく異質のもので、河内弁や大阪南部の和泉弁に近いという。それらは、近年まで「大阪」とは呼ばれなかった場所である。
大阪市域はほぼ旧国名の摂津国内にあり、河内と和泉はそれぞれ河内国と和泉国だった。かつては異国の言葉である。
なぜ、そんな異国の言葉が「大阪弁」になってしまったのか?
それは漫才の影響が大きい。吉本興業が漫才を世に流行らせた頃、所属芸人には大阪南部出身者が多かった。
早口の河内弁や和泉弁のほうが、テンポも良く漫才には向いている。物腰の柔らかい船場や島之内の大阪弁では、喧嘩腰のツッコミにも向かないという理由もある。
やがて大阪の漫才師は東京にも進出し、ラジオやテレビに頻繁に出演するようになって、大阪弁は全国に浸透する。しかし、それは漫才で使われる河内弁や和泉弁の影響が強い大阪弁である。
大阪の人々からして漫才に影響されて、戦後にはすっかり昔とは違った言葉を話すようになっている。『アチャコ青春手帖』が放送された昭和20年代後半頃も、すでにその兆候はあった。大阪中心部では空襲を逃れるために、昔から住む多くの住民が街を離れて疎開した。古い住人が消えた終戦後の焼け跡には、他所から流入した人々が多く住むようになる。このため本物の大阪弁を喋る人が激減してしまった。
そんな時期だけに、大阪弁の絶滅を危惧して警鐘を鳴らす者は多かった。ラジオ・ドラマの人気が高まると、
「浪花千栄子の話す大阪弁こそが、上品で理想的な本物の大阪弁だ」
などと、知識人や有名人のコメントが聞こえるようになる。
彼女がしゃべる本物の大阪弁には、古き良き時代の大阪の風情があふれていた。
昔から大阪に住む人々は、ラジオに耳を傾けながら、戦災で焼かれる前の街を懐かしむ。
やがて千栄子は「島之内言葉の使い手」と呼ばれるようになる。この後、昔の大阪を舞台とする映画やテレビ・ドラマでも、千栄子は欠かせない存在として重宝された。
彼女が出演するだけで、その言葉が物語のリアリティーを増してくれる、と。
幼い頃から道頓堀の仕出し料理店で働いていただけに、戦前の島之内言葉はネイティヴと同じくらい、自由に使いこなせる。
また、出身地が河内地方なだけに、漫才師が普及させた新しい大阪弁との違いもよく分かる。役によって様々な大阪弁を使い分けることもできた。