超高倍率の採用試験を突破したものの…
消防吏員とは事務以外、つまり消火・救急・救助などを担当する消防職員のこと。一般的には消防士と呼ばれているので、ここでも消防士を使わせていただきます。
危険が伴う職種ですから、「市民の安全を守る!」、そう心に誓って消防士になることを決心したはずです。
そのために採用試験ときつい消防学校での生活をくぐり抜けてきました。2018年度の東京消防庁の職員採用試験の倍率は、1類1回目11.2倍、2回目25.4倍、2類13.0倍、3類17.7倍。同年の東京都公務員試験(1類B・一般方式)が6.1倍ですから、いかに消防士になるのが難しいのかが分かります。
しかし、実際になってみると想像とは違う現実が待っていることが多いようです。ここでは、筆者が今まで消防士の方々から聞いた、皆さんならではの苦労話を紹介します。もちろん、すべての職場がこのような状態ではないことは知っています。とはいえ、消防士の方にとっては、ところどころで共感いただける部分もあるのではないでしょうか。
「厳しい学校生活」は覚悟していたが…理不尽の数々
最初に想像と現実のギャップを感じるのは消防学校です。無事に採用試験に合格すると、それから半年間の消防学校での生活が待っています。ここでは寮生活となり、帰宅できるのは土日祝日だけ。したがって、生活の大部分が学校内となります。
朝6時過ぎに起床し、朝食前にトレーニング。それから座学や実習などを経て就寝は22時前後。一人になれる時間はほとんどありません。それだけで大きなストレスを感じる人もいるでしょう。しかし、これは一人前の消防士になるために必須の通過点です。文句はいえません。
しかし、どうしても納得できなかったことがある、と一人の消防士が私に語ったことがありました。その一つは教官の指導方法です。とにかく些細なことで怒られる。例えば、彼は書類の書き方を間違えただけで鼓膜が破れるほど大声で怒鳴られたそうです。しかも一人がミスをすると連帯責任としてクラス全員にペナルティが与えられる。それが長時間に及ぶことがあるので、肝心の授業が進まなくなるそうです。
また、学校生活のなかで体調を崩してしまった場合でも、なかなか休むことができません。基本的には「体調を崩すのはお前がたるんでいるから」というスタンス。つまり悪者扱いをされるのです。
こうして6ヵ月の学校生活を耐え抜いて、やっと入署できても「上からの圧力」が変わらないところもあるようです。
デキる若手ほど押し付けられる「家事」と「事務」
消防署の新人に求められるのは、消防の技術ではなく「家事力」。トイレ掃除から洗濯、洗車、食事作りなど消防署内の家事をすべて任せられます。先輩の服のたたみ方が悪いと怒鳴られ、料理で味付けを間違えるとやり直しや腕立て伏せなどの筋トレをさせられます。
肝心の消火活動はどうかというと、幸いにも減少傾向が続いています。2006年に新築住宅に火災報知器の設置が義務づけられ、さらに最近は建物の防火性能の向上やオール電化の普及、ガスコンロの安全装置の高性能化などによって放水を必要とするような火災は激減しているのです。
配属先にもよりますが、彼が配属された消防署では1年に数回しか消火活動はありません。実際に全国の火災発生件数を調べてみると、2002年の6万3651件をピークに減少し、2017年には3万9373件と半減しています。
では、普段の仕事はというと、前述の家事に加えて予防業務があります。これは文字どおり火災を予防する仕事。具体的には企業・病院・学校などへの立入検査とその日程調整、立入検査結果通知書発行までの事務仕事、同施設への防災訓練指導とその日程調整、新設消火栓・防火水槽の検査、火災原因調査書の作成などです。
これらの業務はパソコン操作が必須になるので、ベテラン消防士の多くはやりたがりません。ですから必然的に若手の事務仕事が増えてしまうのです。
その結果、処理能力の高い人ほど業務に追われ、そうでない人ほど何もしなくていい職場になります。だからといって能力の高い人の給料や役職が上がることはあまりないようです。なぜなら、年功序列が頑なに守られているからです。
「消防技術のある若手」ほど失望、去っていく現実
消防士といえば、オレンジの救助服を着ることを許された特別救助隊を思い浮かべられることが多いでしょう。一般人から見ると救助のエリートというイメージです。特に難度の高い災害現場に出動して人命救助を行います。そのため、東京消防庁などの大都市部では、難関といわれる選抜試験に合格し、さらに約40日に及ぶ厳しい研修を終えなければ隊員になれません。
特別救助隊員になるハードルは、地域によって異なります。ある東北南部の消防署に勤める消防士に聞いたところ、彼の地域では何の前触れもなく突然の辞令で決まります。しかもその後の特別な訓練もありません。彼は小学生の頃からあのオレンジ色の救助服に憧れていました。「大人になったら絶対にあの色の服を着てやる」と。それが入署後、誰がどう考えても自分より技術が低い先輩が特別救助隊に配属されてがっかりしたそうです。
このような職場でいきいきしているのは結局、家事や雑用が苦にならない人や先輩のご機嫌取りがうまい人。決して消防技術が高い人ではありません。まさに「親方日の丸」「安定が一番」といったかつての公務員のイメージそのものではないでしょうか。
ほとんどの消防士の方々は、入署前に「一人でも多くの人を救おう」「自分自身を鍛え上げて社会の役に立とう」と気合を入れていたはずです。しかし、実際は役に立つ機会は非常に少なく、部活のしごきのような毎日―。
それでも数少ない災害現場で市民から感謝されれば、モチベーションは維持できるでしょう。ところが救ってあげたはずの市民のなかには、「消防活動中に家財を壊された」「ケガをさせられた」といった理由でクレームを言ってくる人もいるそうです。場合によっては裁判沙汰になり、個人で費用を負担することも―。
このような職場環境によってすっかり仕事に対するやる気を失ってしまう消防士の方々が大勢いるのです。