ゼロから再出発した「覚悟と気概」が鍋清を繋いだ
「2発の1トン爆弾が4階建ての建物を貫通して、地下で爆発した」
父は当時のことを思いだしながらそう言った。
「それで、工場は?」
「もちろん吹き飛んだよ。工場で働いていた大勢の人の命も、一瞬で消えてしまった」
父はそう言い、黙り込んだ。私もそれ以上、聞けなかった。見たことがないはずの光景が頭に鮮明に浮かび、得体の知れない恐怖にとらわれてしまった。
周知のとおり、この日の11時2分に長崎に原爆が投下され、日本の敗戦が決定的になった。終戦はそれから6日後のことだ。
家を失い、会社を失った。幸い、命は守ったが、言い方を変えると、命しかない。身内を褒めるのはどうかと思うが、その状態で「もう一度商売をやろう」と決めた父たちを心の底から尊敬する。
彼らが人生をかけて再生させた鍋清の価値をあらためて実感するし、どうにかして次の代、その次の代へ受け継がれる会社として、育てていかなければいけないという使命感が強くなる。
混乱と廃墟のなか、父はわずかに焼け残った義兄の家を借りてベアリングの卸業として再出発した。混乱が少し落ちつくと、無事に生き延びた営業部長や業務部長が合流し、数人で事業再開に取り組んだ。
間もなくして、中村区の日置通りに仮店舗を作った。店名は従来のとおり「鍋清」にした。その理由は父の生前に聞きそびれたが、中部経済新聞で連載された『のれん百年』というコラムでは、父は「先祖ののれんだから消すのはしのびなかった。しかし、資産などは何ももらわなかった」と書いている。法人格が消え、資産なども軒並み焼失した。実質、ここが新生鍋清のスタートだったのだろう。
父との会話でよく覚えているのは、小さい頃に「お前は二代目だと思え」と繰り返し言われたことだ。その言葉の背景には、再びゼロから出発した覚悟と気概があったのだと思う。
加藤 清春
鍋清株式会社 代表取締役社長
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