アドリブでも抜群の勘の良さを発揮する
家庭劇の再結成にあたり、座長である十吾の権限が強化された。
十吾は曾我廼家五郎に次ぐ人気を誇る芸人である。明治時代に大阪で流行した即興喜劇の俄で舞台経験を積んだベテラン。
松竹としては彼のキャラクターを前面に押し立てた芝居で、客を増やそうと考えていた。
脚本は引き続き天外が任されることになるが、以前のようにやりたいことを好き勝手に書くというわけにはいかない。
十吾の主導権のもとに上演作品は革新性が薄められ、天外の本意ではないものとなった。しかし、それが功を奏したようで客の評判が良くなり、劇場が大入り満員になったのだから……、天外にとってはさらに面白くない状況ではある。
屈辱に耐える天外と同様に、妻の千栄子もまた女優として辛い状況に追いやられていた。夫の書いた脚本で妻が良い役を取っては、他の役者たちに示しがつかない、という理由から、彼女には人の嫌がる役ばかりがまわってくるようになる。
これも芸の幅を広げるという意味では、プラスだったのかもしれないが、老け役を押し付けられ、年齢に不相応な地味な舞台衣装を渡されたりすると、
「なんで、私が」
と、気落ちしてしまうのは女のさが。
また、俄がベースになっている十吾の演技は、脚本にはないアドリブが多い。それもかなり意表を突いたものを出してくる。長く一緒に舞台をやっている者でも、面食らってリアクションできず、しどろもどろになってしまう。
千栄子も当初はこれにかなり悩まされたが、慣れるにしたがって抜群の勘の良さを発揮するようになる。
もともと喜劇は好まなかった。誰もやりたがらない損な役ばかりやらされる家庭劇は、なおのこと居心地の良い場所ではない。
しかし、十吾のアドリブにボケたり、突っ込んだり、絶妙の返しで客席に笑いを巻き起こす彼女の存在は、家庭劇になくてはならないものとなり、看板スターのひとりとして扱われるようになっていた。
家庭劇の再結成後は、住吉の自宅にも来客が増えた。居候がいることもしょっちゅうで、新婚家庭はいつの間にか大家族のような状況に。
千栄子は食事や晩酌の世話までしながら甲斐甲斐しく世話を焼く。
「この人いつまでおるのやろか、邪魔やなぁ」
とか、内心で思っていたのかもしれないが、それをけして表には出さず、屈託のない笑顔で応対した。
そこのところは、さすが女優である。
また、千栄子は性格的に世話焼きで、面倒見の良いところもあり、家を訪れた若い芸人が腹を減らしていれば、黙って見てはいられない。
女中奉公で培った手際の良さで、てきぱきと食事を準備して、
「お腹が空いているのやろ? 早よう食べなはれ」
そう言いながら遠慮する若者たちを促す。彼女を母親のように慕う者も多かった。まだ20代後半だった千栄子からすれば、
「こんな大きな息子なんかいらへん」
そんなところだろうが。
舞台稽古と公演に明け暮れる多忙な日々が戻ってきた。それとともに、しばらく鳴りを潜めていた天外の悪い癖が顔をのぞかせる。
「岡嶋」で居候していた頃、天外の部屋にはいろいろな女性が出入りしていた。千栄子はそれを何度も目撃していたから、夫の女癖の悪さは重々承知していたはずだ。