高齢者などデジタルに馴染めない人たちをどうする?
ドラえもんの役割は、のび太くんがやりたくないようなことをさせたり、のび太くんに何かを命令して実行させることでは決してありません。逆に、ドラえもんがいるからといって、のび太くんが自分の代わりにドラえもんに山登りをさせて、自分は行かないということになるわけではありません。また、のび太くんが勉強や外出が不要になるわけでもありません。のび太くんを成長させるのが、ドラえもんの目的であるはずです。
また、ドラえもんはとても優秀なロボット(AI)ですが、のび太くんはドラえもんだけを信頼しているわけではありません。家族がいて、クラスメートがいて、先生がいて……といろいろな場所で相互交流を図っています。のび太くんはドラえもんが便利な道具を出してくれるからといって、無条件にドラえもんを信頼しているわけではないはずです。むしろドラえもんにおんぶに抱っこでは、のび太くんにとって社会との相互交流は難しいものになってしまいます。
私たちの生活におけるAIの役割というものを考える場合、ドラえもんとのび太くんのこのような関係は、一つの好例であると言えます。
デジタルが高齢者に使いにくいのなら、使いやすいように改良すればいい
デジタル社会の進展によって、「高齢者などデジタルに馴染めない人たちが取り残されてしまうのではないか」という意見もあります。
たとえば、コンビニや薬局でマスクを購入するとき、全民健康保険カードやクレジットカードなどを使って購入者を特定していくのは、デジタル技術によるものです。ただ、そのデジタル技術も人間の手を介しない技術ではありません。カードリーダーのそばに薬剤師あるいはコンビニの店員がいて、操作に慣れていない高齢者を見ればきっと助けてくれるでしょう。
多少は時間がかかるかもしれませんが、これは高齢者にとっても一つの学習機会になります。こうした機会がなければ、社会はデジタルが得意な人と不得手な人に分裂してしまいます。得意でない人は使い方を尋ねることさえしなくなるでしょう。これでは社会が分裂してしまいます。
私の祖母は八十七歳ですが、父がコンビニに連れて行って一度操作を教えたら、次からは自分でできるようになりました。それどころか、祖母は自分よりも若い友人を連れて行って教えることができるようにもなりました。若いといっても、祖母より若いというだけで同じ高齢者です。きっとその友人は、また別の友人に教えることができるようになるでしょう。
何かを学ぶことができた人は、誰かに教えることもできるのです。「少数の人だけが便利に使っていて、大多数の人は学ぶことができない」という手法では意味がありません。デジタル技術は「誰もが使うことができる」ということが重要なのです。それが社会のイノベーションにつながります。