社長が認知症になると、事業承継に深刻な影響を及ぼします。場合によっては生前の対策ができなくなることも…。愛する会社を守るにはどうすればよいのでしょうか? ここでは、親族に後継者が見つからなかった場合の承継方法についてリスクを確認します。※本連載は、坂本政史氏の著書『社長がボケた。事業承継はどうする?』(中央経済社)より一部を抜粋・再編集したものです。

親族内に後継者がいないケース…M&Aによる事業承継

親族に後継者が見つからないこともあるでしょう。その場合は、企業内に後継者を探すか、社外の第三者に承継先を探すことになります。まずは、第三者承継(M&A)から確認していきましょう。

 

M&Aとは、Mergers and Acquisition(合併と買収)を略したものです。M&Aと聞くと、会社を売買するイメージを持たれる方が多いと思いますが、それだけではありません。“事業”譲渡のほか、業務提携をM&Aと位置付けることもありますが、ここでは、社外の第三者への引継ぎを前提とするM&Aを対象にして、説明を進めていきます。

 

(※写真はイメージです/PIXTA)
(※写真はイメージです/PIXTA)

 

まずは、中小企業庁が示す「M&Aで用いられる手法」を見てみましょう。

 

<M&Aで用いられる手法>

 

●株式を第三者に譲渡する

株主が譲受け先の会社や個人に変わるのみで、従業員、取引先・金融機関との関係は変化しない。事業承継後も円滑に事業を継続しやすい半面、簿外債務や経営者が認識していない債務等も承継される。

 

●事業全体を譲渡する

個別の資産ではなく、設備、知的財産権、顧客など、事業に必要なものを譲渡する。譲渡資産を特定するので、譲受け先は簿外債務等を承継するリスクが少ない。

 

●特定の事業を譲渡する

譲渡の対象資産が選別される。譲受け先を見つけやすい事業・資産を譲渡したり、手元に残したい事業を選別することができ、柔軟性の高いM&Aが可能。ただし、事業全体の承継が完了するわけではない。

 

(出典:中小企業庁事業承継マニュアル「M&Aで用いられる手法」42頁)

社長の判断能力が不十分だと、不利な条件になる可能性

会社を丸ごと譲渡する場合は、全株式を譲渡します。他方、会社の事業を譲渡する場合は、譲渡対象事業に係る資産及び負債を特定して、その資産及び負債を個別に譲渡します。

 

こうしたM&Aには、契約が伴います。売り手側の社長が認知症になり、判断能力を失って、契約ができなければ、M&Aが成立しません(図表1)。

 

仮にM&Aの契約ができたとしても、社長の判断能力が不十分な状態では、不利な条件を呑まされる可能性があります。

 

[図表1]M&Aの契約が無効になる可能性もある

 

身近に後継者が見つからず、会社を売りたい方もいるでしょう。買い手が付かなければ、売れません。売り手と買い手をマッチングする仲介者を選定することになると思いますが、買い手候補が見つかったとしても、買う側としては、安く買いたいと思うものです。そこに必ず交渉が伴います。

 

出典:中小企業庁事業承継マニュアル「M&Aのマッチングに向けた流れ」43頁
出典:中小企業庁事業承継マニュアル「M&Aのマッチングに向けた流れ」43頁

認知症リスクがもたらす「情報の非対称性」の深刻さ

M&Aには、「情報の非対称性」が存在します。売り手と買い手が保有する情報に差があることを「情報の非対称性がある」といいます。M&Aには、この「情報の非対称性」を埋めながら、有利な条件で取引ができるように交渉していくプロセスがありますが、経済学では、「情報の非対称性」によって、図表2の問題が引き起こるとされています。

 

[図表2]「情報の非対称性」が引き起こす問題

 

経済学の理論によると、自社情報を十分に保有する売り手側が、有利な条件でM&Aの契約を締結できるはずですが、売り手側にM&Aに関する専門知識がない場合や、M&Aの仲介者が、自己または買い手側の利益を優先するモラル・ハザードを起こしてしまう場合には、情報優位者であるはずの売り手側に不利な条件で契約が成立してしまうこともあるでしょう。

 

M&Aでは売り手側が不利になることも

 

このような特性があるM&Aの局面において、社長が認知症にかかり、判断能力が不十分な状態であれば、どうなるでしょう? 売り手側の社長だけが知っている会社の秘密があるはずです。

 

一般に、買い手側が、M&Aの情報の非対称性を埋めていきます。この埋める作業が、デューディリジェンス(Due Diligence、以下DD)です。DDは、買い手側が買収対象企業の価値やリスクを詳細に調査することだと考えてもらうと理解しやすいかもしれません。

 

DDは、ビジネス・財務・法務・会計・税務といった様々な観点から行われます。このDDには、売り手側の社長に質問をして確認する手続があります。売り手側の社長が認知症になり、判断能力が不十分な状態であれば、買い手側から質問を受けても、適切な回答をすることができません。買い手側が、DDにより、情報の非対称性を埋めることができないため、ブレイク(契約前に破談となること)する要因になり得るでしょう。

 

株式譲渡によるM&Aでは、一般に、売り手側で分散している株式を集約してから、株式譲渡契約を締結することになります。もし、株主の中に、認知症を発症し、判断能力を失った株主がいる場合には、株式の譲渡契約が無効となり、売り手側で株式を集約することができない可能性があります。全ての株式を譲渡することができないのであれば、ブレイクする要因になり得ます。最終的に契約を締結するにしても、売り手側に不利な条件が提示されることがあるでしょう。

 

DDは短い期間で行われることが多く、売り手と買い手の情報格差が完全に埋まるとは限りません。そのため、M&Aの契約では、表明保証条項を定めることが一般的です。表明保証条項とは、「最終契約の当事者が、相手方当事者に対して、一定の事項について真実かつ正確であることを表明し、保証する規定」(柴田堅太郎『中小企業買収の法務』24頁〔中央経済社、2018〕)のことをいいます。この条項の内容についても交渉します。

 

売り手側の社長が、認知症になり、判断能力が不十分な状態では、その社長しか知り得ない会社の情報を買い手側で確認することができない可能性があります。その場合には、表明保証条項に様々な内容が盛り込まれて、売り手側が不利な立場になることも考えられます。

 

表明保証条項は、わずかな表記の違いによって、負担するリスクが変わります。交渉の末、売り手側に不利な条件で、表明保証条項が定められてしまうと、契約後に思わぬ損害賠償責任を負う羽目に合います。専門家が関与するとは思いますが、判断能力が不十分な社長に、適切なリスク管理を期待することはできないでしょう。

 

表明保証はどうなる?

企業内の役員・従業員から後継者を選ぶケース

次は、企業内の役員・従業員を後継者とする企業内承継について、見ていきましょう。企業内承継で検討すべきは、次の3つです。

 

①株式も承継するの?

②人離れリスクは考慮したの?

③個人保証は外れるの?

 

後継者候補の従業員等に、代表者の地位のみ承継させるか、株主の地位も承継させるか検討しなければなりません。加えて、社長が会社の債務を個人保証していることが多いと思います。その個人保証を外せるか確認することが肝要です。

 

①株式も承継するの?

 

後継者に選ばれた従業員等は、自らの手腕で会社の業績が上向くと、株式も譲ってほしいと思うかもしれません。親族外の従業員等に株式を承継する場合、株式を贈与することはせずに譲渡することが多いと思います。いずれにせよ、社長が認知症になり、判断能力を失うと、贈与契約も譲渡契約も無効です。特別の事情がない限り、後継者になった親族外の従業員に相続権はないため、相続により株式を承継することはできないのです。

 

②人離れリスクを考慮したの?

 

このとき、人離れリスクが顕在化する可能性があります。経営のノウハウが分かり、欲が出てきた後継者が、自分で別会社を作り、同じ事業を行いたいと思うかもしれません。

 

③個人保証は外れるの?

 

会社が金融機関等の第三者から借入をしたときに、社長やその親族が連帯保証人となっていることがあります。親族外承継をしたときに、それらの連帯保証が外れていなければ、会社を手放したあとに、思わぬ連帯保証債務を負うリスクがあるので、注意しましょう。後継者候補の従業員等が個人保証を引き継ぐか否かについても、金融機関および後継者候補に確認する必要があります。

親族外承継後に残る「相続」の問題

事業承継の出口は、相続の入り口でもあります。つまり、事業承継の問題が片付いても、相続の問題が残っているのです。

 

例えば、第三者承継(M&A)を行うと、株式や事業用資産等が、現預金に変わります。売り手側の社長が死亡し、相続が発生したときには、その現預金が相続財産となり、相続税が課されます。

 

相続人は、原則として現預金や不動産といったプラスの遺産だけでなく、借入金や未払金といったマイナスの遺産も相続することになります。

 

また、親族外承継をしたときに、社長の個人保証(連帯保証債務)が外れていないと、社長がお亡くなりになったとき、相続人が社長の連帯保証債務を相続することがあります。このことを、記憶に留めておきましょう。

 

事業承継の出口は「相続の入り口」

 

 

坂本 政史

公認会計士・税理士

 

 

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坂本 政史

中央経済社

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