日本ではあまり馴染みがありませんが、欧米の富裕層の間では美術品が価値ある資産として扱われ、オークションなどを通じて、古いものであっても高値で取引きされています。アートコンサルタントの第一線で活躍する長柄発氏が、知られざるアートシーンを、自身の経験も交えて紹介していきます。第3回目のテーマは「贋作をめぐる攻防」。

鑑定書の信ぴょう性を暴く

この裁判での第一の争点は鑑定書の真正を問う点であった。海外のオークションハウスや主要画廊での売買には、文献的な裏付けに加え、鑑定機関や鑑定家による鑑定書が必要とあらば添付されるのが通常の取引である。鑑定書とは、これらの鑑定機関や鑑定家が作品ごとに個別に発行するもので、作品のサイズ、タイトル、素材、年代、主題などが明記されている。

 

書式はさまざまであるが、1980年代に発行されたルノワールの鑑定書などの場合は、当時の鑑定家である、スイス、ローザンヌ在住のフランソワ・ドールト(François Daulte)氏が発行したものが正式な鑑定書であった。

 

鑑定書の書式は、作品を撮影した鮮明な25×20cm程度の白黒写真(印画紙)の裏側に、直にボールペンなどで手書きで上記の個別の情報が書きこまれた1枚の写真のみで作られたものであった。これ以外の書式は存在せず、精巧な贋作などにはこれらの情報がねつ造された鑑定書が添付され、ドールト氏の筆致を精巧に真似た手書き文体で製作されている。

 

実際に複数の本物の鑑定書を借用し、比較してみると、ドールト氏が裏面の記述で作品名に引いていたアンダーライン部に必ず定規を使っていたことが判明した。また、ゴム印には2種類が存在することも分かった。

 

この一連の裁判で当時、元所有者を名乗る人物から裁判所に提出された「鑑定書とされる書類」は、実際には鑑定書ではなく、前述の比較から、本物の鑑定書裏面の複写(いわゆるゼロックスコピー)と、別な台紙に張られた手焼きサイズのカラー写真が貼付されたものだった。これを鑑定書としたことは根本的な間違いであり、経験豊かな美術品ディーラーであれば一見してこれが鑑定書でないことが理解できたはずだし、これを鑑定書として当該絵画を販売すること自体が無責任極まりないことであった。

 

また、買い手もこれらの事実を確認したうえで作品を購入すべきであった。また、裏を返せば、鑑定書を模した資料を添付して絵画を販売するという事自体がそもそも贋作を販売するための意図的な手段であったと推察できる。

 

さらには、フランソワ・ドールト氏が1998年に他界しており、1999年当時この絵画を販売する時点で、鑑定書の信ぴょう性が無くなりつつあることを認識していれば、ルノワールの新たな鑑定機関となったウィルデンシュタイン財団に鑑定を仰ぐべきであった。現在はドールト氏の鑑定書には効力がなく、総作品目録に記載のない作品は、ウィルデンシュタイン財団の鑑定を仰がなければルノワールの売買は不可能である。

 

また、20年前のこのルノワールの売買には怪しげな連中の存在が見え隠れしていた。あくまでも想像の域は出ないが、わざとウィルデンシュタイン財団の鑑定を仰がず、贋作を売った後に、証拠隠滅でこの作品をわざわざ盗み出したのではないかという動機も大いに考えられる。

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