甘やかされた育った兄
「どこから話せばよいのかわかりませんが、まず、兄は甘やかされて育ちました。というのは、足に生まれつきの障害があったもので、父も母も兄を特に可愛がったのです」
「重い障害ですか?」
「走ることはできません。歩くことはできますが、片足を引きずりながらです」
「そうですか」
「それもあって、兄は家の中では暴君のように振る舞っていました。自分は不幸だ。不幸なんだからわがまま言っていい。そういう風に思っていたのだと思います」
兄の気持ちはわからなくはなかった。どの世界にも、自分の不幸を呪う人はいるものだ。
「両親もそういう振る舞いを許していたのですね」
「ええ。親は叱りませんでした。障害のある子に生んだことに責任を感じていたのだと思います。そういう環境だったので、兄はどんどん傲慢になりました。」
「大人になっても変わらなかったのですか?」
「ええ。多少は社交的になりましたが、中身は変わっていません。他人に対しては愛想よくするのですが、家族にはきつく当たります。その後、結婚して、子どもができてからは、自分の妻や子どもにもきつく当たるようになりました」
「奥さんと子どもがいるのですね」
「はい。奥さんは10年前に離婚していて、今はどこにいるかわかりません。離婚というより、逃げたといったほうが正確ですね。暴君のような兄を嫌がったのだと思います。それと、母とも不仲でした」
「いわゆる嫁姑の不仲ですか」
「ええ。そこは母にも問題があったと思います。その頃にはすでに父は他界していて、母と兄の家族は、母が持っていたビルで一緒に暮らしていました。ただ、母は兄を贔屓します。そのため、兄夫婦で何か問題があった時も、いつも兄の味方をしました」
「奥さんは孤立していたのですね」
「ええ。それで逃げてしまったんです」
「子どもはどうしたのですか?」
「奥さんがいなくなったので、母と兄が育てました。子どもは2人で、当時は上の男の子が高校生、下の女の子が中学生でした。今は2人とも成人していますが、奥さんがいなくなってからも、母、兄、兄妹の4人はそのビルに住んでいました」
「お兄さんの仕事は?」
「今時の言葉で言うなら、フリーターというやつです。何度か就職しましたが、どれも長続きしませんでした。ここ数年は親のすねをかじりつつ、時々アルバイトをしていたような状況です。フリーターというよりニートといったほうがいいんでしょうかね」
仕事熱心なタクシーさんとはまったく別のタイプだった。兄弟でこうも性格が違うものかと思いつつ、だらしない兄が反面教師になったのかもしれないと思った。
「ご両親は裕福だったのですか?」
「かつては羽振りがいい時もあり、ビルや賃貸アパートを持っていました。最初は小さな不動産屋だったんですが、高度成長期の波にうまく乗ったこともあり、コツコツと会社を大きくしていきました」
「タクシーさんと似ていますね」
「そうですね。私が自分で商売しようと考えたのも父の影響がありますし、働き方の面でも参考にしているところがあると思います」
「どんなお父さまだったのですか」
「父はとても働き者でした。毎晩遅くまで仕事をしていたので、小学校の頃は週に1回も顔を見ない日もありました」
ますますタクシーさんに似ていると思った。まだ会社が小さかったころ、タクシーさんが「なかなか家族と過ごせる時間がない」と言っていたのを思い出した。
「ただ、父が亡くなってからは、徐々に資産を売っていきました。最後に残ったのが母と兄家族が住んでいたビルです。そこも当初は貸していたのですが、今は住居になったというわけです」
「そのビルをお兄さんが相続したわけですね」
「ええ。築40年以上の小さなビルなのですが、一応都内にあるということでそれなりの評価額になり、相続税が発生したんです」
「タクシーさんは何も相続しなかったのですか?」
「預金が少しあったので、それを相続しました。両親が生きているときから、財産が残ったら基本的には兄が相続するという話がまとまっていました」
「相続の面でもお兄さんが優遇されていたのですね」私はそう言い、家族内でいかに兄が甘やかされているか理解した。
一方で、親の気持ちも痛いほど伝わってきた。
障害がある兄は、働こうにも制限を受ける。性格的にも難ありで、それは育て方のせいもあるのだが、簡単には社会に馴染めない。そういう状況を少しでも軽くするために、役に立つのがお金である。そこで兄の相続を手厚くしようと考えたのだろう。
「ご両親の生前から相続の方針が決まっていて、その通りに実行されたわけですね」
「はい。母親が亡くなった時、私はすでに埼玉に家を持っていました。そのビルには甥や姪も住んでいますから、兄がもらったほうがよいだろうとも思いました」
「なるほど」
障害とともに生きる辛さや、家族が障害を持っている人の気持ちは、私には想像することしかできない。しかし、両親もタクシーさんも、できる限りのことをやっていたと感じた。そのような愛情を受けながらも、兄は消えてしまったという。
「お兄さんが消えて、子どもたちはどうなったのですか?」
「置き去りです。幸い、2人とも仕事をしていますので日々の生活はどうにかなっていますが、彼らのことを思うと不憫でなりません」
「そうですね。お母さんに捨てられ、お父さんにも捨てられたのですからね」
「はい。私にも子どもがいますが、どうして子どもを見捨てるなんてことができるのか理解に苦しみます」タクシーさんはそう言い、大きくため息をついた。