土地を減らすと落ちぶれたと噂される
エダマメさんを見送ってすぐ、スタッフが事務所に入ってきた。彼は最初に電話で相談を受けたこともあって、トラブルの経過を気にしていた。
「農家の相続は難しそうですね」スタッフがしみじみという。「時代の変化だよ。農家の慣習と法律の間にある溝が埋まらない限り、こういうトラブルもなくならないだろうな」「昔はもめなかったのでしょうか」「長男が相続するのが当たり前だった時はもめなかったんだろうな。私が幼かった時は、クラスの半分くらいが農家だった。しかし今は農家が減っている。親戚や周りの友人にも農業をしている人は少ないだろう?」
「ええ。畑を間借りして野菜を作っている友達はいますけど、彼も本業は会社員です。そういえば、農業をやっている人が全国で200万人くらいしかいないとニュースで報じているのを聞いたことがあります」「ということは、人口1億2000万人に対して2%もいないということだ。長男が土地をもらうやり方から兄弟で等分するというやり方に変わるのも当然だよ」「土地を売って現金にしちゃえばいいとも思いますが、簡単にはいかないんでしょうね」
「無理だろうよ。農家にとって土地は重要な財産だ。古い家ほど、家を守っていくという意識が強いし、家庭でもそういう教育を受けている。エダマメさんがいい例だ。最初から長男が相続することが前提で、土地を売ろうという考えがないんだ」「なるほど」
「あとは地域内のプライドだな」「プライドですか」「そう。田舎では農家は大地主だからな。ちょっとでも土地を売ろうものなら、周りが必ずと言っていいほど、相続税を払うために売った、右肩下がりだなどと後ろ指を指すだろう。その場所に残るのも大変だよ。あの家は昔、お金持ちだったのよねと言われるだろうから」
「地域社会は情報が筒抜けですもんね」「そう。代々続く農家は、ついにあの人の代で終わったと言われるだろう。徳川慶喜みたいなもんだ」「江戸幕府のですか?」「そう。慶喜が有名なのは、大政奉還したからだろう。つまり、250年超続いた江戸幕府を終わらせた。代々続く農家を終わらせるということは、地域の中で慶喜のような覚えられ方をするってことなのかもしれない。だから頑張って家を継いでいくんだよ」
「まさにプライドですね」「そう。試しに聞くが、徳川の14代目が誰か知っているかい?」「いいえ」「でも、慶喜は知っている」「はい」「人はそういう覚え方をするもんだ」「土地持ちも楽じゃないですね」「土地持ちだけじゃないぞ。農業とは関係ないが、事務所を出たところの角に鰻屋があったろう?」「ええ、2、3年前になくなった店。あそこも確か代々続いていたんですよね」「そう。江戸時代から続いていた老舗(しにせ)だよ。どうやら主人が女を囲って小遣いをやり、株でも大損したらしい。それが原因でつぶれたんだそうだ」
「そうなんですか。よく知ってますね」「知りたくないけど、勝手に耳に入ってくる。土地があるかどうかを問わず、田舎だ都会だも関係なく、そういう情報は筒抜けになるんだよ」「人の不幸は蜜の味なんですね」スタッフはそう言い残し、事務所を後にした。
価値観のズレがトラブルを生む
エダマメさんから連絡を受けたのは、それから1週間後のことだった。「妹と兄と話し、もう一度相続をやり直すことにしました」電話口でエダマメさんはそう言った。「そうですか。しかし、よくお兄さんが納得しましたね」「最初は渋っていましたよ。義姉は快く思わないでしょうからね」
「どうやって説得したのですか」「珍しく兄に意見してやったんです。そもそもこういうもめごとになったのは兄貴の責任だと」「ほう」「兄貴がしっかりしていないから義姉がつけあがる。法事の席で自慢話をひけらかしたのも、元はといえば兄貴が義姉に甘いからだと言ったんです」その言葉を聞き、私は妙に感心してしまった。強く意見するタイプには見えなかったからだ。
「それで、やり直しが決まったわけですね」「ええ。断るなら自分は妹の味方につくし、先生が言っていたことを思い出して、最悪のケースとして裁判所への申し立ても考えているとも伝えました。それが効いたんです。どう分けるかはこれから話し合いますが、なんとか決着がつきそうです」「よかったですね」「はい。ありがとうございます」
電話を切ると、そばで様子を伺っていたスタッフが声をかけてきた。「まとまりそうですか?」スタッフが聞く。「ああ。エダマメさんが熱心な人だから、きっとうまくまとまるだろう。兄も妹もエダマメさんに感謝して、反省しないといかんよな」「そうですね。そもそも義理のお姉さんがちゃんとしていればこんなトラブルは起きなかったんでしょうけれど」「そうだな。嫁さん選びは慎重にしないと。気をつけろよ」私がそう言い、スタッフが笑った。
冗談っぽく言ったが、配偶者が絡んで相続トラブルになるケースは決して少なくない。人の価値観は異なるものだ。親子でも兄弟でも、価値があると思うものは違う。そう考えれば、もともと他人であった配偶者や、義理の兄弟と価値観が合わないのは当然ともいえるだろう。
エダマメさんの家のトラブルも、根底には価値観の違いがある。エダマメさんたち兄弟は農地や家に価値を感じていた。義姉は、ブランド物のバッグに価値を感じた。価値観に正解や間違いはない。何に価値を感じるかは自由であり、義姉が一方的に悪いわけでもないだろう。都会育ちのお嬢さんから見れば、田舎の農家で生活することにストレスを感じるはずだ。ただ、もう少し相手の価値観を尊重していれば、こんなことにはならなかっただろうと思う。
例えば、義姉がもう少しだけ農業や家を大切にしていれば、あるいは、妹がもう少しだけ義姉の好みを理解しようとしていれば──ひょっとしたらこのようなトラブルは防ぐことができ、家族としてうまくまとまったのではないかと思う。
相続についても同じことが言えるのではないか。長男が相続するというやり方は、都会人から見れば時代錯誤的かもしれない。しかし、そのやり方がうまくハマる家もある。これが絶対という相続の方法はなく、法定相続分はあくまでも法律上の目安にすぎない。
つまり、全国津々浦々の家庭を、1つの型にはめ込むことはできないのだ。農家が減っていくことで、農家的な相続をする家もきっと減っていくだろう。時代の流れとして見れば仕方のないことではあるが、もしかしたら価値観が単一化する危険性をはらんでいるかもしれない。
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