江戸時代、なぜ日本は「鎖国」を行ったのでしょうか? この問題は中学受験でも頻出です。グローバル時代を生きる日本人として、日本史の知識はしっかりと身に着けておきたいもの。本記事で自分の知識を確認してみましょう。※本連載は中学受験専門塾ジーニアス運営会社代表・松本亘正氏の著書『中学受験「だから、そうなのか!」とガツンとわかる合格する歴史の授業 下巻(江戸~昭和時代)』(実務教育出版)より一部を抜粋・再編集したものです。

キリスト教を恐れて「鎖国」へ…徳川家康の方針転換

次の文章を読みながら、【①】~【⑪】を埋めましょう。答えはページ下部を参照(PCの場合は【 】内部をマウスでドラッグしても参照可能です)。

 

「鎖国(さこく)」という言葉は聞いたことがあるでしょうか。鎖で国を囲んでしまう、というものです。鎖国と言うと「外国との付き合いをしないこと」と考えるかもしれません。でも、それは大きな間違いです。

 

日本は鎖国をしている間にも、オランダや中国とは貿易をしていましたし、朝鮮(ちょうせん)や琉球王国(りゅうきゅうおうこく)、アイヌの人々とも交流していたのです。だから、「付き合いを制限した」くらいに考えておきましょう。予想外でしたか? それでは、過去を振り返りつつ、話を進めていきましょう。

 

織田信長(おだのぶなが)は、キリスト教を認めました。「南蛮(なんばん)貿易による利益を得るため」と、「仏教勢力に対抗するため」という理由があったと考えられます。

 

信長のあとを継いだ豊臣秀吉(とよとみひでよし)は、はじめはキリスト教を認めていましたが、途中から禁止しました。薩摩(さつま)の島津氏(しまづし)を倒すため九州に攻め入った際、長崎にキリスト教が広がることで、寺社が壊される実態を目にし、危機感を持ったからだと言われています。

 

しかし、南蛮貿易を続けたかった秀吉は宣教師(せんきょうし)を弾圧するわけにもいかず、キリスト教禁止の効果はあまりありませんでした。

 

イラスト:遠藤庸子(silas consulting)
貿易目当てでキリスト教に甘かった信長、秀吉 イラスト:遠藤庸子(silas consulting)

 

徳川家康(とくがわいえやす)も、はじめはキリスト教を認めていました。関ヶ原(せきがはら)の戦いが起こった1600年、豊後(ぶんご〔大分県〕)にオランダ船リーフデ号が漂着。ここから日本とオランダの付き合いが始まります。それまでの南蛮貿易は、スペインとポルトガルでしたからね。オランダとの付き合いは1600年からです。間違えないように気をつけましょう。

 

さて、家康はこのオランダ船に乗っていたヤン=ヨーステンと、案内人のイギリス人ウィリアム=アダムズを江戸(えど)に招いて、自分の部下にしました。

 

このとき、スペイン人・ポルトガル人の宣教師はヤン=ヨーステンとウィリアム=アダムズを死刑にするよう、家康に言います。「あいつらは危険です。早く殺さないと大変なことになりますよ」

 

なぜそんなことを言ったのでしょう? それはオランダという国が、スペインから独立してできた国だからです。当時、「スペイン・ポルトガルvsイギリス・オランダ」という対立もありました。

 

どの国もキリスト教の信者は多かったのですが、前者がカトリック中心だったのに対して、後者はプロテスタントというキリスト教の中でも新しい考え方を持つ人たちが多かったんですね。詳しくは、中学生以降の世界史で習います。

 

イラスト:遠藤庸子(silas consulting)
オランダ人を敵視していたスペイン・ポルトガルの宣教師 イラスト:遠藤庸子(silas consulting)

 

家康は、「殺すのはいつでもできる。とりあえず話を聞いてみよう」と思いました。すると、彼らが多くの知識を持っていること、外国との貿易に役立てられるということに気がつきました。

 

そこで、処刑するどころか部下にしてしまったのです。2人とも日本人と結婚し、ウィリアム=アダムズは三浦按針(みうらあんじん)と名乗る武士となりました。なんと、江戸時代には外国人の武士がいたのですね。

 

さて、2人の外国人部下を手に入れた家康は、カンボジア・タイなどと貿易を行います。秀吉時代の終わりのほうでも行っていましたが、江戸幕府は「海外へ行ってもいいよ」という朱印状(しゅいんじょう)を与え、貿易を進めました。朱印状を与えられて貿易を行った船を朱印船(しゅいんせん)、この頃の東南アジアとの貿易を【①朱印船貿易】と言います。

 

海外に移住する日本人も増え、各地に日本町(にほんまち)がつくられました。日本人の中には、山田長政(やまだながまさ)のようにタイのアユタヤ王朝に仕えた人もいました。

 

[図表1]東南アジア諸国に進出した【①】

 

<①の解答> ※PCの場合、上記【 】の中をマウスでドラッグ。

①朱印船貿易

「侵略」と「反旗」を恐れた家康…キリスト教禁止へ

ところが、家康はキリスト教を禁止するようになります。理由は次の2つです。

 

(1)キリスト教の布教によって、スペイン・ポルトガルが侵略してくるかもしれないと恐れた

(2)キリシタンが神様のもとに団結して、幕府に反抗するのを恐れた

 

(1)について、昔からその危険性は指摘されていました。まず宣教師を派遣し、キリスト教を広める。そして自分たちの考えに同調してくれる人が増えた段階で、その国を乗っ取る。この方法で日本も支配されるのではないかという恐れがありました。

 

(2)について、キリスト教の「平等」という教えが幕府にとって厄介でした。なんと言っても「士農工商(しのうこうしょう)」という身分制度をつくっていたのですから、平等とはまったく反対ですよね。

 

「平等を主張する人たちが集まって、幕府に反対してはたまらない」

 

家康はそう考えたのでしょう。そして家康の予想は、死後当たることになります。

 

さて、幕府は、1624年にスペイン船の来航を禁止し、後に日本人は外国に行ってはならないとし、外国へ貿易に行った人たちの帰国も禁止しました。家族と離れ離れのまま、外国で死んでいった人も多くいたでしょう。そこまで気をつかったのは、キリスト教の力が恐ろしかったからだと思います。

 

イラスト:遠藤庸子(silas consulting)
キリスト教を恐れて禁止した家康 イラスト:遠藤庸子(silas consulting)

 

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