「隠そうとしたかもしれない物も撮られているんです」
⬛︎バンクシーが隠そうとした物とは何なのか?
――そんなスティーヴ・ラザリデスの『BANKSY CAPUTURED』。どうご覧になりましたか。
(毛利)バンクシーは今やアートの世界でも特別な存在です。どんな作品でも、何をしても、メディアに常に取り上げられる。そんなアーティストがほかにいるでしょうか。欧米ではこの10年ほど前から、日本でも2018年10月のサザビーズでのシュレッダー事件ぐらいから完全にそうなりましたよね。
一挙一動に注目が集まり、何でも「待ちに待った」ものとして受け入れられる。たとえば最近では、地中海の難民救出のためのプロジェクト。作品の売却益で巨大ボードを購入して支援としました。もちろんいいプロジェクトなんですが、グラフィティ・ライターとしての活動からはずいぶん遠いところに来てしまっているようにも見えます。
実は初期のバンクシーのグラフィティ代表作はほとんど消されており、写真と記憶に残っているだけなんですね。これ自体いわゆる美術館やギャラリーを中心とする芸術家と決定的に違うグラフィティ・ライターの特徴です。
この写真集には、グラフィティで有名になっていくプロセス、そして、そういう時代の作品の制作過程がそのまま収められています。
世間が「バンクシー? 誰?」といった時代のものから、バンクシーが注目され始めたころのもの、スター・アーティストへの階段をどんどん上っていった「ストリート・アーティスト」としての活動記録です。そのバンクシーの変遷を辿るためのとても貴重な写真が数多く収められています。
この本、バンクシー本人の監修でなく、あるいは公認の写真集ではないけど、だからと言って完全な第三者ではなく、少なくとも撮影時に親密な関係にあった微妙な距離感で撮影された写真から構成されているんですよね。
時には背後から、多分バンクシーが見せたくない、隠そうとしたかもしれない物も撮られている。顔こそ隠されているけれど、明らかにバンクシーと思しき人が写っていたりする。
バンクシーの初期の写真集といえば、自ら編集した作品集『Wall and Peace』がよく知られていますが、それと比較すると、バンクシーが、自分がどういう風に見られたいのか、見られたくないのかが良く分かります。バンクシー自身とその活動に肉薄した写真集だという点で、『BANKSY CAPUTRUED』の特異性は際立っていますね。
【次回に続く】
解説:毛利 嘉孝(東京藝術大学大学院教授)
聞き手:原田 富美子(KKベストセラーズ)
編集:GGO編集部