父の日記を「遺言書」と見なした長男…妹が大反発
依頼者は60代の男性でした。亡くなった父親の相続人は、長男である依頼者と妹の2人でした。依頼者によれば、亡くなった父親は日記をつけるのが習慣だったのですが、父親がお亡くなりになったあと、依頼者が父親の遺品を整理していたところ日記を発見したそうです。
依頼者がその日記を読んでみると、「俺の財産はA(依頼者の名前)にやる。B(依頼者の妹の名前)には絶対に渡さない」という記載と認め印による押印があることを発見しました。亡くなった父親は、長男である依頼者との関係は良好でしたが、妹とその夫との結婚に反対したため、駆け落ち同然に家を出ていった妹との関係は良くありませんでした。
しかし、遺言には年月日を記載しなければならないのですが、その日記の記載には、年月日の「年」の記載があとから加筆されているような形跡がありました。
依頼者は、この日記の記載を自筆証書遺言であるとして家庭裁判所に遺言書の検認の申立てをしました。その後、遺言執行者選任の申立てをしてご自身が遺言執行者に選任され、父親の遺産である不動産について、「遺贈」を原因とする所有権移転登記も完了していました。
すると、この日記の内容に納得がいかない妹から、遺言無効確認訴訟を起こされてしまいました。
一審では兄敗訴「日付の記載を欠くものとして、無効」
依頼者は、一審では別の弁護士に依頼していたのですが、審理の結果、裁判所は自筆証書遺言の要件を満たしていないとして遺言は無効と判断し依頼者は敗訴してしまいました。
そこで、控訴をしたいと考えているが、現在依頼している弁護士以外の意見も聞いてみたいとのことで、私の事務所にご相談にいらっしゃいました。
私はこれまでの経験上、一審の判断を控訴審で覆すのは相当ハードルが高いものの、本件では可能性がないことはないと考えられたため、そのことをご説明したところ、亡き父のためにも後悔しないようにやれるだけのことはやりたいとのことでしたので、正式に控訴審からご依頼を受けることになりました。
本件の争点は、「日記の記載について、「年(西暦あるいは和暦)」の自署を欠き、遺言として無効であるか」という点でした。
一審判決は、この争点について、日記の「2016」との記載はあとから「加筆」したものであるとしたうえで、「自筆証書遺言の加筆については、遺言者がその場所を指定し、これを変更した旨を付記して特にこれに署名をし、さらにその変更の場所に印を押さなければその効力が生じないとされる(民法968条3項)のに、この日記には、少なくとも加筆箇所の指示、加筆の旨の付記、署名がなく、自筆証書遺言における方式に反するものとして上記記載は効力を生ずることがなく、したがって、この日記については、日付の記載を欠くものとして無効といわざるを得ない」と判断しました。
しかし、私は、この一審判決の判断は自筆証書遺言の形式的要件を厳格に解しすぎており、誤りがあると考えました。
遺言書の作成において、形式(方式)を遵守することが重要であることに異論はありません。しかし、その要件の充足をあまりにも厳格に求めることは、せっかく作成された遺言書が無効になる機会が増え、遺言者の遺志に反することになりかねないことになります。私は、この点に関する裁判例を徹底的に調査したうえで、たくさんの裁判例を控訴審で紹介しました。
たとえば、最高裁の判例では、自筆証書遺言に3か所の抹消部分があったが、その3か所には押印のみがなされ、署名がなかったという事案において、
とし、明らかな誤記については、民法968条3項の「加除その他の変更」に該当するとしても、その訂正についての方式違反があるからといって、遺言は無効となるものではないと判断していました。
また、この最高裁判決の事案における控訴審判決では、
と判断していました。
つまり、民法968条3項の規定は、いったん有効に成立した遺言書に変更を加える際に適用されるのであって、この事案のように、遺言書の作成過程(遺言書が未完成の段階)で生じた書き損じを訂正する場合にはその適用はない、という論旨で当該遺言書を有効としていました。
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