1915年に武蔵野鉄道(現在の西武鉄道池袋線)が開通。大泉学園エリアには、当初、駅はありませんでした。そして1923年、関東大震災が発生。東京の下町は焼け野原となり、人々は住居を求めて郊外へと移住を始めます。そこに目をつけたのが、西武グループの創始者である堤康次郎だったのです。堤は国土計画(後のコクド)の前身である箱根土地を通じ、現在の練馬区から埼玉県新座市にかけての土地を購入。「大泉学園都市」として分譲を開始します。その分譲地の玄関口として、1924年には大泉エリアに「東大泉」(現在の「大泉学園」駅が開業します。
堤がこの地に誘致したのは、震災の被害を受け、移転先を探していた東京商科大学。現在の一橋大学です。大学を中心とした宅地開発により、街のイメージを高めようと考えたのです。しかし、東京商科大学の移転先は現在の国立市に決定し、誘致計画は頓挫。分譲時に命名された“学園”という名前だけが残る結果になったのです。
それでも1936年から分譲を開始した高級住宅街は人気を集めます。並木が美しい大泉学園通りを中心に碁盤目状に整備された区画に、落ち着いた邸宅が並ぶ姿は、往年の高級住宅地の趣きを残しています。
この一帯は開発当初から都市計画法に基づく風致地区に指定されてきました。良好な住環境を維持することを目的としたもので、宅地の造成や建物の建築に細かい条件が設けられ、樹木の伐採も規制されています。開発当時からのゆとりある街区、緑あふれる街並みがいまに続くのは、先進的な街づくりとルールによって守られてきたからなのです。
練馬区の高級住宅地…そこに住む人々とは?
開発当時から風致地区に指定され、良好な住環境が守られてきた「練馬区大泉学園町」。そこにはどのような人たちが住んでいるのでしょうか。国勢調査(2015年)などの結果から、その傾向を紐解いていきます。
練馬区大泉学園町6~8丁目に住んでいるのは15,101人で人口密度は12,689人/km2。田園調布や成城など、郊外の高級住宅地は5,000~6,000人/km2ほどですが、これらの街に比べると小さな区画が多く、結果、人口の集積が進んだのでしょう。
年齢別にみていくと、15歳未満が13%前後と区平均とほぼ同等であるのに対し、労働生産人口の15~64歳は55~58%と、区平均と比べて、7~10ポイント程度も低くなっています。その分多いのが、65歳以上の高齢者。27~32%と、区の平均を7~10ポイント近く上回っています。往年の高級住宅地である大泉学園町では、既存住民の高齢化が進む一方、駅から遠いという地理的要因から、現役世代からはなかなか選ばれにくい街になっています。
その傾向は、世帯の状況をみても明らか。単身者世帯の区平均は41%と、東京23区のなかでもファミリー層が多く、単身者が少ないエリアですが、大泉学園町6~8丁目の単身者世帯の比率はさらに低く、28.2%。区の平均を10ポイント以上も下回る結果に。一方で高齢者単独世帯の区平均は10.3%であるのに対し、大泉学園町では13.5%。高齢化、しかも単身高齢者の増加が進行している街の事情がみえてきました。
一方で特徴的なのが、やはり持ち家率の高さ。大泉学園地区では練馬区平均47%を大きく上回る68.3%。さらに一戸建て率は、練馬区平均34%に対し大泉学園町地区は64%、持ち家の95%が一戸建てという高水準。大泉学園町がまぎれもなく、戦前から続く由緒ある邸宅街であることが数値からもみえてきます。
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