関東大震災後、都心から郊外へと移り住む人々が増えるなか、山王エリアには、多くの文士・芸術家が居を構えるようになりました。そのきっかけになったのが、隣接する、当時馬込村に住んでいた尾﨑士郎、宇野千代の夫妻の存在です。ふたりの誘いによって、画家の川端龍子や、翻訳家の村岡花子、歌人・片山広子などが移り住み、交流を深めていきました。いつしか駅西側の山王、さらに馬込辺り一帯は「馬込文士村」と呼ばれるようになりました。
現在、山王一丁目にある「蘇峰公園」は評論家・徳富蘇峰の居宅跡で、南側には尾﨑士郎の居宅を再現した「尾﨑士郎記念館」があります。このように文士たちの住んでいた場所には記念館や居住跡案内板があり、彼らの足跡を訪ねようとする観光客をちらほらとみかけます。
郊外の別荘地であり、行楽地、そして文士に愛された街、という歴史をもつ山王地区は、現在、ほとんどが第一種低層住居専用地域で、街の美観や雰囲気が損なわれたりしないよう、厳しく規制されているエリア。高台に位置し、坂道も多く、車がないと少々不便を感じてしまうでしょう。ただその不便さが、高級住宅地として品格を保ち続けている一因でもあるのです。
高級住宅地と一般層の居住地の混在化が進む
大田区において、知名度の高い田園調布よりも古い歴史をもつ山王。文士に愛された足跡をいまに伝える高級住宅地には、どのような人たちが住んでいるのでしょうか。国勢調査(2015年)などの結果から、その傾向を紐解いていきます。
大田区山王1~4丁目に住んでいるのは18,989人で人口密度は19,376.5人/km2。田園調布や成城など、郊外の高級住宅地は5,000~6,000人/㎞2ほどですが、山王地区では人口の集積が進んでいることがわかります。大田区でも有数の繁華街である大森に近接で、駅周辺や幹線道路沿いは近隣商業地域。中高層のマンションも多く、交通の利便性から、賃貸ニーズも高く、数値を押し上げています。
年齢別にみていくと、15歳未満が10~12%、労働生産人口である15~64歳が63~65%と、大田区の平均値とほぼ同程度。また世帯の状況をみても、地区の平均世帯数は1.94人で、単身者世帯率も50%前後と、大田区の平均値とほぼ同程度の値を示しています。前出の通り、大田区でも有数の繁華街であり、交通利便性高い「大森」に近接している立地に影響していると考えられます。
地区を細かくみていくと、18歳未満の子どもを持つ世帯の割合は「山王2丁目」と「山王4丁目」で区平均を2~3ポイント近くで上回る18~19%。幹線道路沿いを中心にファミリー向けのレジデンスも多くみられることから、子育て層に選ばれる立地であることがわかります。
一方で特徴的なのが、持ち家率の高さ。山王地区では大田区平均44%を上回る53.9%で、特に「山王4丁目」では57.6%と高くなっています。さらに一戸建て率は、大田区平均27%に対し山王地区は33.0%。ここでも「山王4丁目」は41.8%と、居住世帯の5世帯に2世帯は一戸建てという高水準です。