織田信長なき後、全国統一を達成
次の文章を読みながら、【⑧】~【⑫】を埋めましょう。答えはページ下部を参照(PCの場合は【 】内部をマウスでドラッグしても参照可能です)。
織田信長の死後、【⑧豊臣秀吉】は明智光秀(あけちみつひで)を山崎(やまざき)の戦い(京都府)で破り、信長の後継者(こうけいしゃ)という立場を手にします。このとき、秀吉は現在の岡山県で、毛利氏(もうりし)を攻撃していました。信長本能寺の変で死んだことを知った秀吉は、すぐに毛利氏との戦争を終結させ、明智光秀を討つために京都に向かいます。なんて素晴らしい部下なんでしょうか!
信長の敵討(かたきう)ちをする秀吉は偉(えら)いと思うかもしれませんが、私はそう単純な動機ではないと思っています。おそらく秀吉はチャンスがきたと思ったんじゃないかな。だって、ここで明智光秀を倒せばヒーローです。そういう思いで、10日間ほどで一気に京都に向かい、明智光秀を倒したのでしょう。
秀吉は浄土真宗(じょうどしんしゅう)の寺であった石山本願寺(いしやまほんがんじ)の跡地(あとち)に、【⑨大坂(〔おおさか〕大阪)】城を築きました。土佐(とさ)を中心に四国に力を持っていた長宗我部氏(ちょうそかべし)、薩摩(さつま)を中心に九州に力を持っていた島津氏(しまづし)を降伏(こうふく)させて、西日本を支配します。そして、【⑩1590】年には【⑪小田原】(神奈川県)の【⑫北条(ほうじょう)】氏を破り、全国統一を果たしました。
<⑧~⑫の解答> ※PCの場合、上記【 】の中をマウスでドラッグ。
⑧豊臣秀吉
⑨大坂(〔おおさか〕大阪)(城)
⑩1590(年)
⑪小田原
⑫北条(ほうじょう)(氏)