※本連載は中学受験専門塾ジーニアス運営会社代表・松本亘正氏の著書『中学受験 「だから、そうなのか!」とガツンとわかる 合格する歴史の授業 上巻(旧石器〜安土・桃山時代) 』(実務教育出版)より一部を抜粋・再編集したものです。

商業の自由化で「経済界の支持獲得、仏教勢力を抑制」

安土・桃山(あづち・ももやま)時代は織田信長(おだのぶなが)や豊臣秀吉(とよとみひでよし)が活躍した時代です。前回の記事『織田信長の快進撃…実力主義の戦国時代をいかにのし上がったか』では、織田信長の台頭を解説しました。

 

天下統一を目指した織田信長

 

織田信長は、1576年、近江(おうみ〔滋賀県〕)に安土城(あづちじょう)を築きました。そして、楽市・楽座(らくいち・らくざ)という政策を行います。これは、安土の町で同業者の組合である座(ざ)を廃止し、自由に商売ができるようにしたものです。また、関所(せきしょ)を廃止し、商人を移動しやすくしました。これにより商工業が発展し、安土の町は栄えました。

 

関所の廃止は、仏教勢力の既得権益(きとくけんえき〔すでに手にしている権利と利益〕)を壊すものでした。というのも、もともと仏教勢力は関所で通行人からお金を取っていたからです。その仏教勢力と信長は戦いました。比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)を焼き討ちにしたり、一向一揆(いっこういっき)には厳しく対応しました。また、信長はキリスト教を保護しましたが、これは貿易(ぼうえき)によって利益を得ようというだけでなく、仏教勢力に対抗する意図があったと考えられています。

 

天下統一を目指した信長は、1582年に家臣の明智光秀(あけちみつひで)に攻められ、亡くなります。これが本能寺の変(ほんのうじのへん)です。1582年という年号は覚えておきましょう。「十五夜に(1582)信長を討つ本能寺の変」という覚え方もある一方、ふざけたものとして「イチゴパンツ(1582)だ本能寺の変」というものもあります。

織田信長なき後、全国統一を達成

織田信長の死後、豊臣秀吉は明智光秀(あけちみつひで)を山崎(やまざき)の戦い(京都府)で破り、信長の後継者(こうけいしゃ)という立場を手にします。このとき、秀吉は現在の岡山県で、毛利氏(もうりし)を攻撃していました。信長が本能寺の変で死んだことを知った秀吉は、すぐに毛利氏との戦争を終結させ、明智光秀を討つために京都に向かいます。なんて素晴らしい部下なんでしょうか!

 

信長の後継者の座を手にした豊臣秀吉

 

信長の敵討(かたきう)ちをする秀吉は偉(えら)いと思うかもしれませんが、私はそう単純な動機ではないと思っています。おそらく秀吉はチャンスがきたと思ったんじゃないかな。だって、ここで明智光秀を倒せばヒーローです。そういう思いで、10日間ほどで一気に京都に向かい、明智光秀を倒したのでしょう。

 

イラスト:遠藤庸子
イラスト:遠藤庸子

 

秀吉は浄土真宗(じょうどしんしゅう)の寺であった石山本願寺(いしやまほんがんじ)の跡地(あとち)に、大坂城(おおさかじょう〔大阪城〕)を築きました。土佐(とさ)を中心に四国に力を持っていた長宗我部氏(ちょうそかべし)、薩摩(さつま)を中心に九州に力を持っていた島津氏(しまづし)を降伏(こうふく)させて、西日本を支配します。そして、1590年には小田原(神奈川県)の北条氏(ほうじょうし)を破り、全国統一を果たしました。

 

イラスト:遠藤庸子
イラスト:遠藤庸子

「太閤検地」と「刀狩」…秀吉、2つの社会政策

秀吉の政策は下の2つが重要です。

 

太閤検地(たいこうけんち)1582年

 

ものさしやますを統一し、どれだけ米が収穫(しゅうかく)できるかという石高(こくだか)を調べ、検地帳(けんちちょう)に記録した。年貢(ねんぐ)を確実に取り立てることが目的。農民は耕作する権利が認められたが、年貢(ねんぐ)を納めることが義務づけられ、土地を離れることができなくなった。

 

刀狩(かたながり)1588年

 

農民から刀、鉄砲(てっぽう)などの武器を取り上げた。農民の一揆(いっき)を防いで、田畑の耕作に専念させることが目的。武士(ぶし)と農民の身分が区別される兵農分離(へいのうぶんり)が進む。

 

太閤検地の「太閤」とは、関白(かんぱく)を退いた後の呼び名です。秀吉は、1585年に関白、翌年には太政大臣(だいじょうだいじん)の地位につきました。関白を辞めたのは1591年だから、「あれっ」と思いませんか?

 

太閤検地は1582年からと言いましたが、秀吉が関白を退いたのは1591年。どうして関白になってもいない1582年に行われたのが「太閤検地」なのでしょうか。

 

じつは秀吉が関白を辞めてから自分のことを太閤と呼んだため、昔の検地も、秀吉が行ったものは太閤検地と呼ばれるようになったのです。


 

イラスト:遠藤庸子
年貢を確実に取り立てるために行われた太閤検地 イラスト:遠藤庸子

 

刀狩は、「取り上げた武器は大仏づくりに使うので、農民もあの世に行ける」と行って武器を取り上げたそうです。もちろん、これは口実であって、狙いは一揆を防ぐことと、農業に専念させること。この2つの理由を覚えておきましょう。

 

 

【安土・桃山時代の理解度をチェックする】

 

松本 亘正

中学受験専門塾ジーニアス運営会社代表

 

【関連記事】

■税務調査官「出身はどちらですか?」の真意…税務調査で“やり手の調査官”が聞いてくる「3つの質問」【税理士が解説】

 

■月22万円もらえるはずが…65歳・元会社員夫婦「年金ルール」知らず、想定外の年金減額「何かの間違いでは?」

 

■「もはや無法地帯」2億円・港区の超高級タワマンで起きている異変…世帯年収2000万円の男性が〈豊洲タワマンからの転居〉を大後悔するワケ

 

■「NISAで1,300万円消えた…。」銀行員のアドバイスで、退職金運用を始めた“年金25万円の60代夫婦”…年金に上乗せでゆとりの老後のはずが、一転、破産危機【FPが解説】

 

■「銀行員の助言どおり、祖母から年100万円ずつ生前贈与を受けました」→税務調査官「これは贈与になりません」…否認されないための4つのポイント【税理士が解説】

 

中学受験「だから、そうなのか!」とガツンとわかる 合格する歴史の授業 上巻(旧石器〜安土・桃山時代)

中学受験「だから、そうなのか!」とガツンとわかる 合格する歴史の授業 上巻(旧石器〜安土・桃山時代)

松本 亘正

実務教育出版

難関中学合格率約60%の中学受験専門塾の合格授業を再現! 中学入試の社会・歴史(旧石器時代〜安土・桃山時代)のポイントが、心から理解できる一冊。 【本書の特徴】 ●イラスト&図解で楽しくスイスイ読める! ●自…

人気記事ランキング

  • デイリー
  • 週間
  • 月間

メルマガ会員登録者の
ご案内

メルマガ会員限定記事をお読みいただける他、新着記事の一覧をメールで配信。カメハメハ倶楽部主催の各種セミナー案内等、知的武装をし、行動するための情報を厳選してお届けします。

メルマガ登録
会員向けセミナーの一覧