見栄を捨てて、究極的に欲求を自覚する
自分のあきらめたくないものに気づけそうな人もいれば、「労働強度は低くしたいですけど、ニートな自分を自分自身で認められなくて……」という人もいるでしょう。
結局、この話って「稼ぎたい」とか「モテたい」みたいなものだけじゃなくて、実はこういう見栄とかプライドみたいなものも、残すのかあきらめるのか選択すべき100個の欲求のうちの1個なんですよ。
「嫌なことはせずにラクに生活したい」と「誰にでも誇れる生活をしたい(=稼いでいい家住むとか?)」的なことってそうそう両立しないので。
たとえると物件探しで説明するのがわかりやすいんですけど、誰だって「築浅(ちくあさ)」「家賃5万円以下」「2LDK」「南向き」「広いキッチン」みたいな家がいいんですよ。でも、外したくない条件があるほど、物件検索でのヒットする件数は減るじゃないですか。
だから一番欲しいものを手に入れるには、どこかで妥協が必要なんです。「快適さのために見栄捨てます」みたいな割り切りが。それができない「外せない条件が多い人」って、要は本当に外せない大事なものが多いんじゃなくて、「自分が究極的に欲しいもの」へのピントがボケてるだけなのです。
僕自身の話で言うと、昔、東中野駅徒歩1分の3畳の家に住んでいたんですけど、「都心で駅近で安い」がそのとき自分が究極的に求めてるものだって自覚してたんで、唯一条件にはまった家が3畳しかないなら「3畳でいい」ってすぐ妥協できるんですよ。
でも曖昧な人の場合、「広いキッチン」を条件に挙げてみたりして、「なんで?」って聞かれると「なんとなく」とか言い出すんですよ。結局そんなに料理しなかったりするのに。
こういう風に誰もが3畳よりも5畳、10畳のほうがいい中で「3畳でいい」って言えないとダメなのです。それが明確な人だけが、抜け道を進めるわけです。
そのためにはやはり「どれだけ究極的に自分が欲しいものがわかっているのか」が大事です。その見極めができてこそ、「お金に困らず、ラクに、豊かに生きる」人生がスタートできます。
プロ奢ラレヤー