「働きたくない」を掘り下げた先は…意外と複雑
あなたにとって「働く」って何ですか?
「働く」ことの何が嫌ですか?
――もしこの問いへの答えが明確でないとしたら、「働きたくない」と思ったとしても、具体的に何を避ければいいのか、本当の意味ではわからないはずなんです。
そうすると、ただただ「もう会社勤めは嫌だ……」とか「学校卒業して働きたくない」とか「バイトもしたくない」みたいな感じで一括(ひとくく)りに「働く」を嫌になるだけで、どうしたらストレスなくラクしながら豊かに生活できるかな、みたいな発想が生まれてこないんですよ。
でも、たとえばいま目の前で「時給は500円なんだけど、ネットカフェに居てくれさえすればよくて、勤務時間中もスマホをいじってても、漫画読んでてもOKなバイトなんだけど、やってもらえないかな?」って誘われたら、普段「働きたくね~」って人でも一定数の人は「まあやってもいいかな」ぐらいには思うはずなんですよ。
ただ、これって超ラクかもしれないし、漫画読み放題で楽しいかもしれないけど、指定された場所に存在することで給料が発生してるんで、「働いてる」状態って言えるじゃないですか。
それなのに「まあやってもいいかな」って思った人は、本当は「働きたくない人」なんじゃなくて、「強度の高い労働をしたくない人」だったわけなんですよ。
要は、「働きたくね~」と思っていたけど、実はいままで自分の知っていた労働形態の概念の中に、自分にマッチするものがなかっただけなんですよね。探したら自分的にまったく負担に感じない「働く」があった、みたいな。
僕がこういう錯覚(さっかく)に気づかされたのって、チェコに行ったときだったんですけど、チェコで働いてる人って日本人的には「え、これ働いてるの?」って感じだったんですよ。おしゃべりしてるし、呼んでもこないし、接客する気がないし。
ただ、時給はちゃんともらっていて、最低賃金のルールが違うから時給も安いのかもしれないけど、でもその程度の労働だし、みたいな。まさにさっき例で出したネカフェ状態。
だから、もし時給低くてもいいから労働強度を下げるほうがいい、となれば「じゃあチェコ行って働けばいいか」みたいな選択肢だって出てくるわけですよね。
そういう意味では、最近は僕だってUber Eatsならできそうかなとか思います。シフトもなければ上司もいないし、配達のときに人に会うくらいならいいか、みたいな。お金に困ったらUber Eatsやればいいから、いよいよ何も困らないな、と。
でもそれだって、人によっては「わずかな他人との接触もしたくない」とか「チャリンコ漕 こぎたくない」とか、その中に嫌な面を見出す人もいるはずなんです。
だからこそ、自分にとっての「働く」とは何なのかを明確に定義したほうがいい。そして、 「多くの人にとっては労働だけど、自分は働いている気がしない」とか「他の人にはご褒美だけど自分にとっては重労働でしかない」みたいな要素をちゃんと拾えると、しんどくなりようがないので、ラクに豊かに生きる道を進めるでしょう。