高額の不動産が購入しやすくなる「証券化」
不動産ファンドは、基本的に「証券化」という方法によって成り立っています。証券化とは、保有する資産を証券に変えて資金を集める金融技術です。
たとえば、都心の一等地にあるオフィスビルや富裕層を対象にした高級マンションは、1棟で数十億円、数百億円の値段がします。これだけの金額の物件に機関投資家か企業が1社で投資するのは簡単ではありません。
そこで、億単位の不動産でも買いやすくするために、不動産を証券にして小口化する手法が生み出されました。
たとえば100億円の不動産であれば、1口1億円などの証券にして販売するわけです。これにより、複数の投資家がそれぞれが出せる範囲でおカネを出せば高額な不動産を買いやすくなります。
逆にいえば不動産を売る側からすれば、証券にして小口化することで売りやすくなるわけです。このように、不動産を証券にして買いやすくする、売りやすくすることを「不動産の証券化」といいます。
[図表]不動産の証券化イメージ図
「不良債権処理の要請」が不動産の証券化を促した!?
日本における不動産の証券化は、1990年代の後半に登場し、2000年代に入って急速に進められました。その主たる目的は、バブル崩壊後に日本経済の重しとなっていた不良債権問題の解決にありました。
金融機関が抱えていた巨額の不良債権を清算しなければ低迷を続ける日本経済の復活は難しく、そのためには債権の担保となっていた不動産の処分を促す環境を作り出す必要があったのです。
不動産が証券化されれば、前述のようにその売却をスムーズに進めることが可能となります。こうした不良債権処理の要請のもとに、不動産証券化のための制度作りが慌ただしく行われたのです。
まず、1995年には「不動産特定事業」に関するルールを定めた「不動産特定共同事業法」が制定され、1998年には、特定目的会社などを用いて資産の流動化を行う制度の確立を図った「特定目的会社による特定資産の流動化に関する法律」が定められました。
同法は、2000年には「資産の流動化に関する法律」と名称変更され、一般には「資産流動化法」もしくは「SPC法」と呼ばれています。
さらに、2000年には、投資信託と投資法人に関するルールを定めた「投資信託及び投資法人に関する法律」(投信法)が改正されました。同法の改正の結果、2001年にはリートが誕生しています。
下記の図表2が示すように、各種の法制度が整備されるのと並行して、私募ファンドの開発・運用も着々と進められていきました。
[図表2]不動産証券化の関連年表
当初、その中心となっていたのは外資系のファンド会社でしたが、やがて国内の大手不動産会社、金融会社、鉄道会社系列の不動産運用会社やいわゆる独立系不動産ファンドも相次いで誕生し、私募ファンドの市場は急速に拡大していったのです。