子どもは決まりを破るもの…決まりは「5つ」まで
子どもは、決まりを破ります。しかし、どうして決まりを破るのでしょう? それは決まりが多すぎるからだと思います。紗良には、多くても5つの決まりしか課しませんでした。しかし、それらは「決して破ってはいけない」決まりでした。もちろん、決まりは年齢に応じて変えていきましたが、一度に5つ以上の決まりを課したことはありません。
ニューヨークに住んでいたとき、幼少期の紗良の5つの決まりはこうでした。ひとつ目とふたつ目は、大都会に暮らす子どもであれば、誰にも課された掟。「知らない人と話さないこと」と、「左右の安全を確認してから、横断歩道を渡ること」です。
次からが、わが家の決まりです。3つ目は、「食卓以外の場所で食べたり飲んだりしてはいけない」でした。これは、紗良だけでなく、夫や私も含めた家族全員のための決まりでした。もっとも白状すれば、夫と紗良が家にいない間、私はこっそり、居間で紅茶を飲みながら新聞を読んでいたこともあったのですけどね(笑)。
なぜ、こんな決まりを作って厳しく守らせたかと言うと、それはもう、私自身のためと言うほかありません(笑)。私が、掃除機をかける手間を省きたかったからです。マンハッタンのアパートは、目が飛び出るほど高額な家賃のわりに狭いアパートでしたが、日本の標準サイズよりも広く、短時間で床掃除を終わらせるのは不可能でした。私には掃除以外にやるべきことがたくさんあったので、毎日の掃除は台所と食卓だけ。もし、食卓以外でクッキーでも食べたなら、こぼれかすがポロポロと落ちて床を汚すでしょう。そんなこと、私には耐えられない!というわけです。
紗良の友達が遊びにきて、ブラウニーと牛乳のおやつを食べるのも食卓でした。この決まりは、紗良の友達にも適用されました。
4つ目の決まりは「宿題は自分の部屋の机以外ではしないこと」。これは、紗良の幼稚園のホワイトロウ先生に学んだ決まりです。
幼稚園では、保護者が子どもを連れて行ったとき、希望者が授業のお手伝いをする習慣がありました。それは、図工の後片付けなどかんたんなことでしたが、教室にいると、経験豊富な先生がどのように園児に接し、指導しているのか、間近で見られるよい機会になりました。
興味深かったのは、教室の四隅に、園児たちの活動場所が設置されていたこと。一角には、動物の人形やおもちゃのカップやソーサーがあり、女の子はそこでおままごとをするのが好きでした。反対側の一角には、本がぎっしりと並んだ本棚があり、床にはクッションが置いてありました。絵本が大好きな子どもたちは、この場所によく集まりました。
普段、園児たちは教室のどこにいても構いませんが、勉強の時間になると、机にきちんと向かわなくてはなりません。文章を書く練習であろうと、キャンディーで首飾りを作る工作であろうと。場所ごとに、目的がきちんと区別されていたのです。
これは、いい! 私はホワイトロウ先生のこの決まりを、わが家でも実践しようと、紗良に、フィッシャープライス社の小さな青と黄色に塗られたテーブルと、可愛らしい椅子をふたつ買いました。紗良にとって、これが初めての勉強机となりました。
幼稚園から帰宅すると、私たちは食卓でおやつを食べた後、紗良の部屋に行きます。そして、この小さな机について、二人並んで座りました。この椅子は頑丈で、大人が座ってもびくともしません。ここで、紗良はパズル遊びやお絵描きをしたり、ときには『ビリー・ブルー・ハットとロジャー・レッド・ハット』を私に音読してくれたりしました。また、お話も書きました。
ホワイトロウ先生は、紗良たちが1年生になると、毎日宿題を出すようになりました。その頃には、紗良にはすでに、自分の部屋の自分の小さな机で勉強する癖がしっかりついていました。「宿題は自分の部屋の机以外ではしないこと」という決まりは、きちんと守られたのです。
5つ目の決まりは、ある恐ろしい出来事をきっかけにできました。その決まりとは「横断歩道を渡るときは、ママかパパか、もしくはママが信用している大人と必ず一緒に渡ること」でした。例外は、絶対にありません。
私たちが住んでいたのは、43番通りと2番街の角に位置するアパートでした。ここを通る車の数は少なかったので、私は、前の交差点の信号を無視して渡る(もちろん、左右をよく見て安全を確認してからではありましたけど)こともありました。普段、紗良には、マンハッタンの横断歩道では、信号が赤のときは決して渡らず、白(日本では青)に変わるまで待つように、口を酸っぱくして言ってあったにもかかわらず、です。
恐ろしい出来事が起こったのは、紗良のお友達のライラちゃんとお母さんの4人で、小学校から歩いて帰宅をしていたときでした。紗良とライラちゃんが前を歩き、私たちはその後ろをおしゃべりをしながら歩いていました。私たちのアパートの交差点の横断歩道まで数メートルの距離に差しかかったそのとき、突然、紗良とライラちゃんが交差点に向かって走り出したのです。信号はまだ赤です。
すべては一瞬のうちに起こりました。
「紗良!!」
私は、とっさに紗良の名前を叫びました。その声はライラちゃんには届き、ライラちゃんの足は横断歩道の手前で止まりました。しかし、紗良には届いていません。紗良は、すでに横断歩道の真ん中を走っていました。私は、紗良を追って走り出しました。
私の足が止まったのは、紗良が無事に道路を渡りきった後のこと。数秒後、黄色いタクシーが猛スピードで道を隔てて立っている紗良と私の間を走り抜けて行きました。
もし、タクシーが、もっとスピードを出していて、数秒早く、この道路を通り過ぎていたら…。もし、紗良が、横断歩道を渡り終えるのが数秒遅かったら…。もし、紗良が、横断歩道の真ん中で転んでいたら…。
ライラちゃんとお母さんは、驚きのあまり呆然と歩道に立ちつくしていました。私はろくろくお別れも言わないまま、途方に暮れている紗良をアパートに引っ張って行き、エレベーターに乗せ、家の中に押し込みました。
「紗良! 何をやってるの!! ダメじゃないの!!」私は激怒していて、ずっと紗良に怒鳴っていました。同時に、私の体は震えていました。涙が止まりませんでした。「ママ、ごめんなさい。ごめんなさい」と紗良は、激しく泣きながら、小さく怯えた声で一生懸命私に謝っていました。しかし、紗良は私に心臓が止まるような思いをさせたのです。でも、そもそも私がいちばん悪かったのです。紗良に、マンハッタンだけでなくアパートの前の横断歩道でも、信号を守って渡らなければいけないと教えていなかったのですから。
この日このとき、「横断歩道を渡るときは、ママかパパか、もしくはママが信用している大人と必ず一緒に渡る」という決まりができました。
薄井 シンシア
大手飲料メーカーにて東京2020オリンピックホスピタリティの仕事に従事