転校先になじめない…「馬糞」の中に立ち往生した娘
紗良が小学6年生から3年間過ごしたウィーン。この都は、19世紀にオーストリア・ハンガリー帝国の首都として繁栄を極めていました。その後、ハプスブルク家の没落とともに力は失われていきますが、今でも往時の威風堂々たる姿は健在。中心街にあるゴシック様式のシュテファン大聖堂をバロック時代の大邸宅が囲み、丸石が敷きつめられた街路は、馬車が昔さながら幅を利かせています。そのために道はしばしば馬の糞で汚れていました(もっとも、毎朝ちゃんと清掃がなされて、その糞が長いこと放置されることはありませんでした)が、私と紗良は、通学の往復路、この道を好んで歩きました。
さて、紗良は最初、転校先のウィーンの国連学校で友達を作るのにとても苦労していました。紗良の友達作りが前進しないことに、私のガマンも限界に達していました。いつまでもこんな風ではいけない。私が、早期解決に乗り出さなければ…。私は心を決めました。
ある日の学校からの帰り道。いつものように、私と紗良はウィーンの中心街を歩いていました。その日は紗良にとって本当につらい一日でした。しかし、もう少し頑張れば、ここを乗り切ることができると信じていた私は、いくつか解決策を紗良に提案しました。
「お昼ご飯の時間に、誰か知っている人と一緒に座るのはどう?」
「私からは、ちょっと。誰かが誘ってくれないと、ダメだから…」
「じゃあ、今週末、誰かを家に呼んで、映画のビデオでも見たらどう?」
「でも、そこまで仲のいい友達はまだいないから…」
私たちは、黙って歩き続けました。道路には、いつものように馬の糞が落ちていました。私は思いついて、こう紗良に語りかけました。
「紗良、いまのあなたはね、周りを見ないで歩いていて、知らないうちにこんな馬糞を踏んづけちゃったの。両足ともズッポリとね。あなた、馬糞の中にずっといたい? そんなわけないでしょ? あなたは、前進するか後退するかの、ふたつにひとつしかないのよ。どっちがいいの? あなたが自分で決めなさい!」
紗良は、道の真ん中で立ち止まり、泣き出しました。
「泣いても、どうにもならないのよ!」
しかし実際には、紗良が自分で馬糞を踏んだのではありません。私と夫が、紗良に馬糞を踏ませたのです。
新しい学校では、転校生を迎え入れるための歓迎会などは用意されていませんでした。紗良には、溶け込むチャンスがありません。紗良を馬糞の中から救い出すのは、誰にもできません。私以外は誰にも。そんなとき、ようやくチャンスが訪れたのです。
「それ、どこの服?」GAPの服がもたらしたチャンス
1ヵ月が過ぎようとしていたある日、紗良は家に帰ってくるや、少し興奮気味に、クラスの女の子とひと言以上の会話をしたと言いました。その日、紗良は青い大きな「GAP」のロゴ入りの白いTシャツを着て行ったのですが、紗良と話した女の子はそのTシャツが気に入った様子で、どこで買ったのかと聞いてきたというのです。当時のウィーンには、GAPの店はまだありませんでした。地元で売っていないものを着るのがカッコいいと思うのが、若者の心理です。
これだ!と、私はひらめきました。夫のニューヨーク出張に合わせ、GAPの服をあらかじめネットで注文し、それを持ち帰ってもらおうと。そうすれば、GAPの服をきっかけに、紗良は女の子たちと、もっとたくさんおしゃべりすることができるでしょう。
夫が、ニューヨークから戻ってきました。トランクの中は、ジーンズやTシャツでいっぱいです。すべての服が、GAPのロゴ付きでした。翌日、紗良はこの新品の中から選び抜いたTシャツを着て、学校へ行きました。
もし、これが童話の世界なら「GAPの服のおかげで、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」と、ハッピーエンドを迎えることでしょう。確かに、やがて紗良にも「めでたし、めでたし」が訪れることになります。しかし、それは童話の世界の魔法のように、GAPの服がもたらした幸せではありませんでした。紗良は、その後1ヵ月をかけて、自らの力で踏みつけた馬糞から抜け出すのです。後ろに下がるのでなく、前に進むことで。