「なんかこの本、ストーリーがみんな同じなんだよね」
少女時代、私には、何度も読み返すほど大好きな本がありました。アメリカの『少女探偵ナンシー・ドルー』という児童向け推理小説です。利発な少女ナンシーが遭遇する事件を次々に解決していくという物語で、何十巻とあるこのシリーズは、私が本のおもしろさに目覚めた最初の本でした。
紗良が9歳になり、私はこのシリーズからお気に入りの1冊を抜き出して渡しました。
「これはね、ママがちょうど紗良と同じくらいの年に読んでいた本なの。おもしろいのよ」
紗良は素直に受け取りました。その日の夜には、本を開いて熱心に読んでいるように見えました。私は期待しました。翌朝、「ママ、すっごくおもしろかったよ!」と声を弾ませて言ってくるに違いないと。ところが、翌日も、その翌日も、とうとう週末になっても、紗良からひと言の感想も返ってきません。私は、ガマンできなくなりました。
「紗良、あの本どうだった?」
紗良は、ちょっと困った様子で「あの本ね、どうかな…」と言ったきり。そう、おもしろくなかったのです。私は、心底ガッカリしました。それ以来、シリーズの2冊目を紗良に渡すチャンスはやってきませんでした。
同じ頃、紗良がハマっていたのは、『ベビーシッターズ・クラブ』という少女小説でした。これもまた何十巻もあるアメリカの大人気シリーズで、4人の少女たちがベビーシッターズ・クラブを作り、仕事で直面する問題を解決していくというコメディータッチの物語です。紗良が通っていたアメリカン・スクールでも大流行し、紗良も友達と競うように読んでいました。私も読んでみました(紗良が夢中になっている本は、私も読みます)。1冊、2冊、3冊…と読みました。
でも、分からないのです。そのおもしろさが。ベビーシッターズ・クラブを作った紗良と同じくらいの女の子たちが、派遣された家庭で子どものお守りや家事手伝いをする。そこで起こる数々の事件…とくれば、日本にもたしか大人気の「…は見た」というドラマがありましたね。でも、残念ながら、お話はミステリーでもなければ、ドラマティックな展開もありません。
「ねえ紗良、これ、おもしろい?」
「……」
そのときも、無心に読みふけっていた紗良には、私の質問が耳に入らなかったようです。あるいは、反論するまでもないということだったのでしょうか? どうやら、この熱病に、私もしばらく付き合うしかなさそうです。私は、「もっとおもしろくてタメになる本があるでしょ!」という言葉をのみ込みました。
私たちは、新刊が出たと聞くと書店にすぐに買いに行きました。学校で年に一度開かれる古本市では、大量に放出されるこのシリーズ本を紗良と一緒になって片っ端から買い漁り、両腕に抱えて持ち帰りました。信じられないくらいの量でした。紗良は、それはもう夢中になって読みふけりました。毎日のおしゃべりの半分は、来る日も来る日もベビーシッターズの話でした。夜9時の就寝時間をきちんと守れたことが、むしろ不思議なくらいでした。
しかし、ブームというのは、突然に終わりを迎えるものです。秋風が吹き始めたある日、朝食のパンケーキを食べながら、紗良がぽそっとつぶやいたのです。
「ママ、なんかこの本、ストーリーがみんな同じなんだよね…」
あら、いま頃、気づいたの?と、思わず私は言いそうになりました。
「そうなの? へー。でも、おもしろいんでしょ?」
「う~ん、でも結局、全部同じなんだよね…」
もう、十分だったのでしょう。紗良は、飽きるほど読んで思う存分その世界に浸り、主人公の一人となって、ベビーシッターの仕事をしました。降りかかる難題を解決しました。それが、同じような展開であることに気づいてようやく、紗良は満足したのでしょう。9歳の私が、まさにナンシー・ドルーであったように。
このシリーズ本は、翌年の古本市で全部売りました。おそらく、紗良のような女の子の手に渡り、ふたたび夢中にさせたに違いありません。それにしても、この小さなベビーシッターさんたちに、私はどれほどの「賃金」を支払ったことか! 思い出しても、目が回るようです。