外務省勤務の夫とともに20年間、5ヵ国で生活
私は薄井シンシア。1959年、フィリピンの華僑の家に生まれました。20歳のとき、国費外国人留学生として来日し、大学卒業後は、貿易会社で2年間働きました。そして日本人と結婚し、30歳で娘・紗良を出産。子育てのために専業主婦の道を選び、外務省勤務の夫を支えながら、20年間、5ヵ国で生活を送りました。
紗良の大学進学に伴い、私の子育ては終了。それと同時に就職活動を開始しました。夫の転勤に連れ立ち、世界各国を移動するなかでキャリアを重ね、2018年より現在は、大手飲料メーカーにて、東京2020オリンピックのホスピタリティ担当に従事しています。
娘の紗良は現在30歳。ニューヨークで仕事をしています。私の子育ては十数年前に終わり、娘も結婚をしました。いまは、お互いが人生のよき相談相手です。
●私は、日本人の夫と結婚して日本国籍を取得。娘の紗良も日本国籍です。
●紗良は父の転勤に伴い、世界各地で4度転校しました。
●海外では17歳で高校を卒業することもあります。紗良もそうでした。
子育ての目的に「ハーバード大学の合格」はなかった
娘の紗良がハーバード大学に進学が決まった後、あるパーティーの席で、こんな質問を受けたことがありました。その方は、結婚を控えたエリートビジネスマンでしたが、教育に高い関心を持っていらっしゃいました。
「紗良さん、あなたのお母さんは、どうやってハーバード大学に行ける娘を育てたのですか?」
紗良の瞳に、一瞬驚きの色が浮かびましたが、彼女はさらりとこう返しました。
「ママは、ハーバード大学に行ける人間を育てたのではありません。結果として、ハーバード大学に通用する人間を育てたのです」
そう、私は、紗良をハーバード大学のような難関大学に合格させることを目標に、子育てをしたわけではありません。ハーバード大学は、紗良が高校1年生、将来を見据えて大学進学を考え始めたとき、初めて視界に入ってきた選択肢のひとつでした。
ハーバード大学に「通用」する人間とは?
「ハーバード大学に通用する人間」とはどういう人間なのか? あらためて考えると、これほど定義しづらいものはありません。少なくとも、数字で判定できる学力だけがその基準ではなさそうです。ただ、もし紗良にこの「通用する力」が付いていたとすれば、私はそれを「自力」だと考えます。
「自力」とは、「自分で生き抜く力」です。自分で判断して行動する自立性、自分で学び続け、努力し続ける自律性――このふたつの「自力」です。思えば、紗良が生まれたときに立てた誓いは、この子をまともな人間に育て上げることでした。私が考えるまともな人間とは、自分の力で働き、税金を収められる人間でした。これは、まさに「自力」そのものでしょう。
本連載では、この「自力をつける」という観点で、紗良という「人間を育てた」私の極めて私的な体験を紹介します。マニュアルのようなものは何ひとつありませんが、「自力」とは何か、それがどう育まれたのかに興味を持たれたなら、この思い出深い子育てのエピソードを読んで、感じ取っていただければ幸いです。
一方で、もうひとつ伝えたいのは、子育ての楽しさです。私にとって、紗良を育てた17年間は本当に楽しいものでした。「大変さこそが楽しい」とすら思うその理由もまた、このエッセイとマンガから感じ取っていただけると思います。
かけがえのない「子育て期間」を幸せに過ごすポイント
紗良が生まれ、初めて抱いた日のことは、いまも鮮明に思い出せます。すやすやと眠っている紗良を腕に抱きながら、この小さな命を一人の人間に育て上げていくのだという責任の重み、同時に、ある切実な思い――「子育ては期間限定である」という考えが私の胸をいっぱいにしました。娘と過ごす時間は、わずか17年間。紗良の人生時計はすでに回り始めており、かけがえのない一瞬一瞬がまたたく間に過去になっていくのだと思うと、巻き戻しの効かないこれからの17年間をできる限り楽しく、幸せな気持ちで過ごしたいと強く思いました。もちろん、親子ゲンカなどはとんでもない!
この思いこそが、17年間一貫して私の子育てを支えてきた根っこでした。そのうえで、私が大切にしていたのが、次の3つの基本です。
1、一人の人間として尊重する
ひとつ目は、紗良を、生まれたときから「一人の人間として尊重する」ということです。これは、言うほど易しくはありません。常に気に留めていても、親として子どもによかれと思うことが、しばしば「~しなさい」という命令や「親の言うことは聞きなさい」という高圧的な態度となって出てしまう。しかし、これはやはり親の押し付けなのだと思います。
幼いからといって、紗良に道理が通じないわけではありませんでした。同じことでも、紗良と目線を合わせ辛抱強く、丁寧に説明しました。分からなければ、違う手段を考えました。そして、幼い時期でも「紗良はどう思う?」と必ず彼女の考えに耳を傾けました。この試行錯誤のプロセスが、紗良を一人の人間として尊重するということなのだと、私は自分に言い聞かせました。
もちろん、分からない紗良に腹を立て、命令口調になったこともありました。そんなときは、必ず謝りました。「ごめんね、ママが悪かったわ」と。これもまた、紗良を一人の人間として尊重することにつながったと思います。
2、子どもを観察する
子どもは、一人ひとり違います。100人いれば、100の個性があります。しかし、ともすればこのことを忘れて、隣のAちゃんと比べたり、巷の子育て情報に惑わされてしまうのです。比べてしまうのは人間の性でしょう。それが必要な場面もあるでしょう。けれども、比べるより前に、私は意識して努めたことがありました。他の誰でもないわが子、紗良をよく見る=観察することです。
紗良は、小さい頃からとても慎重で、真面目な子どもでした。おしゃべりが大好きでした。本好きで、ダンスや音楽に夢中になる好奇心の強い子どもでした。眠りが少ないと、それが体調に表れる子どもでした。自尊心の強い子どもでした。あらゆる場面で、紗良は幼いときから、私はこんな子だよと親に一生懸命伝えようとしていました。
しかし、もし意識して日頃から紗良の表情や変化を観察していなければ、幼くてまだ十分に表現しきれずにいる彼女の思い、欲求や好奇心や潜在能力をうまく汲み取れなかったかもしれません。寂しい思いにさせたかもしれないし、ストレスを与えたかもしれないし、紗良らしさを伸ばす手助けをすることもできなかったと思います。
わが子を伸ばすには、わが子に合ったやり方があります。そのためには、わが子をよく観察することが、何よりも大切だと思います。
3、子育ては手を替え品を替え
思い返すと、子育てはガマン比べでした。ガマンとは、精神的に耐えるガマンではありません。むしろ、楽しい知恵比べです。寝床につかせるのも、嫌いな人参を食べさせるのも、苦手な漢字を覚えさせるのも、「~しなさい」と命じるのではなく、知恵を絞り工夫して、本人がその気になるように仕向けるのです。ゲーム化したり、交換条件を持ち出したり、ただそばにいて慰めるだけのこともありました。紗良の成長につれて、私も一生懸命勉強しました。
むろん、あらゆる手を尽くしても、うまくいかないことはあります。しかし、子育てはほぼ、思いもかけない事態と不安、ジレンマの連続です。その都度、親はよりマシだと思う方法を自分で導き出すしかないのです。経験を総動員し、頭をフル回転させ、ときには周囲の人の知恵を借りながら。これがダメならあの方法でと、手を替え品を替えながら…。それは、子育ての醍醐味でもありました。
本連載では、私の楽しかった17年間の子育てエピソードを紹介します。まずは、私と紗良の掛け合いのマンガを見て、笑ってください(『【画像】筆者の子育てエピソードをマンガで読む』を参照)。いかに楽しかったか、それが伝われば、おそらく私が伝えたい「自力」とは何なのかも、お分かりいただけるのではないかと信じています。
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