「父がどうやら相続のことを考えているみたいなの」
〈主な登場人物の紹介〉
亀山源太郎(69歳)・・・亀山家の主。一部上場の食品メーカーを退職後、悠々自適の日々を送っている。最近、健康診断で脳に血栓が見つかり、医師からは経過観察が必要と告げられたことから相続について考えることが多くなった。
亀山美千子(65歳)・・・源太郎の妻で、専業主婦。夫の検診結果から将来について不安を抱えるようになる。
亀山一美(42歳)・・・亀山家の長女。六年前に離婚、一人娘とともに実家に帰ってきた。両親と同居しながら住まいを改装してネイルサロンを営んでいる。
亀山一太郎(40歳)・・・亀山家の長男。地元の信用金庫に勤めるサラリーマン。実家の近くの社宅で妻の昌子と息子と暮らす。長男としての責任感が強い。
亀山次夫(37歳)・・・亀山家の次男。イベント運営会社代表取締役。五年前に脱サラして事業を始める。婚活パーティや街コンなどが当初はうまく当たったが、その後は赤字に転落し資金繰りに困っている。
亀山彩華(32歳)・・・次夫の妻。イベント運営会社で夫と一緒に働いており、やり繰りに苦労している。息子の将来への教育資金が不安。姑である美千子とはあまりうまくいっていない。
由井満(58歳)・・・Y相続センター所長の税理士・公認会計士。これまで800件以上の相続申告を手がけてきた。専門家として亀山家の相続対策をサポートすることに。
亀山家の一室にあるネイルサロンで、一美は昼食時に母から尋ねられたことを思い出していた。
「先々のこと何か考えている?」
いきなりそんなことを言われたのだ。父の源太郎が脳血栓で「要経過観察」と宣告されて以来、両親は税理士事務所に通っている。そういった状況を考え合わせると、母が何を訊きたいのかピンと来た。相続について希望していることを確認しておきたいのだ。
「どうしたの、考えごと?」
向かいに坐る常連客の主婦が首をかしげた。
「父がどうやら相続のことを考えているみたいなの」
一美が打ち明けると常連客が目を丸くした。
「具合でも悪いの?」
「この間の健康診断で脳に小さな血栓が見つかったくらいだから、すぐにどうこうというわけじゃないと思うんだけど」
「でもそれで子供たちのことを考えてくれるようになったのなら、いいお父さんじゃない」
たしかに、源太郎は子供思いで優しい。現役時代は仕事が忙しく、あまりかまってくれないことが不満だったが、リタイアした今は同居している自分たちのことを何かと気にかけてくれている。ネイルサロンの改装費用も出してくれた。シングルマザーは、経済的にも大変だろうと食費や光熱費も受け取らない。
甘えていることは心苦しいが、そのことで次夫とその嫁から時々嫌味を言われるのは心外だ。料理、洗濯、掃除といった家事や車が必要な際の運転手など、両親の生活を支えている面は大きいはずだ。
「でも、お父さんにもしものことがあったらこの家はどうなるの?」
ふと、常連客が訊ねた。