相続トラブルの根底にあるのは「個々の常識の差?」
「それはぜひ考えておきたいです」うなずいて由井が続けた。
「五つ目の遺言書作成は生前対策の要とも言えるものです」「なるほど」
相づちを打ったものの、源太郎にはどうにも我が事とは考えにくかった。まるでテレビドラマだ。遺言書といえば、お金持ちが書くもので、それを巡って2時間ミステリーみたいなドラマが起きて……というイメージしかない。それを自分が書く? だいいち、何をどう書けばいいのかさっぱり浮かんでこない。
「大丈夫です。六つ目がありますから。遺言書の作成に大きく関わるもので、相続対策では実は一番重要なものと私は考えています」
源太郎の思いを読み取ったように、由井が笑いかけた。
「いきなり書いてくださいといっても、たいていの方は遺言書など書けません。ですからうちではこれをお渡ししています」
手元の書類フォルダから由井が取り出したのは、一冊のノートだった。表紙には「スマートノート」とタイトルが印刷してある。開けてみると、いざという時の連絡先や葬儀の手配、自分の人生などについて記入する欄が設けてあった。
「これは、いわゆるエンディングノートですよね?」
由井が肩をすくめた。
「エンディングという言葉が苦手なので『スマートノート』という名前をつけています」
「これがそんなに重要だと?」
「はい。相続対策はとても難しいもので、時にはうまくいかないこともあります。なぜだかわかりますか?」
漠然とだが源太郎にはわかる気がした。
「お互いの考えが違うからでは?」
「その通りです。相続については特に源太郎さん、子供さん、そして専門家である私、それぞれに『常識』と考えていることがあります。しかしながら、その差が結構大きいのです。たとえば源太郎さんは『長男が家を相続するのが当然』と思っているようですね。でも長女や次男の方は、『今の時代、平等に分けるのが常識』と考えているかもしれません。私は基本的には『みなさんが少しずつ譲り合って喧嘩にならない分け方をするのがいい』と考えています。それぞれの『常識』を理解し合いすり合わせていかないことには、相続対策はうまくいきません」
相続について話をしてみてはじめてわかったことだが、美千子とすら相続対策を重要視している度合いや子供たちに対する心配の深さが違っていた。長年連れ添った妻でさえそうなら、ましてや子供たちはどうなるだろう? だがそれを理解しなければ円満相続につながる対策など講じられないと思う。
「そこでこの『スマートノート』の登場です。相続対策の中心になる被相続人がノート作りを進める中でまず自分の考えを理解し、それを見た私や相続人も理解を深めることができるのです」
あらためて、源太郎はノートに目を落とした。24ページほどの薄いノートだ。こんなものに、それほど大きな力があるのだろうか? だが、800件以上の相続申告を扱ってきた専門家が言うのだ。やはり重要なアイテムであることは間違いないだろう。
「いい名前ですね『スマートノート』というのは。相続がその名の通りにいくよう、頑張って書いてみます」
源太郎は両手で取り上げたノートを額に押し当てた。
【つづく】