「昔ながら」が残る街に迫る、2つの問題
「西荻窪」は東京都杉並区に位置する、JR中央線(快速)、中央・総武線(各駅停車)の駅。1日の乗車数は4.5万人ほどです。
西荻窪という名前は、1922年に駅が開業したのが始まり。当時、駅の北側は井荻村、南側は高井戸町で、郊外の農村地帯でした。転機となったのは、1923年の関東大震災。ここで都心から武蔵野のほうへと人口が流れ、「西荻窪」一帯も都市化の波に飲み込まれるなか、区画整理と地名の変更がなされ、現在「西荻北」「西荻南」という町名ができました。ちなみに「西荻窪」という地名は、以前は1丁目〜3丁目まであったそうですが、1970年に廃止されています。
この街の発展を語るうえでかかせないのが、内田秀五郎。30歳で井荻村の村長となった人物で、「西荻窪」駅を誘致したのも、彼の尽力によるものといわれています。また太平洋戦争期に戦闘機のエンジンなどを製造していた「中島飛行機」を誘致し、街を大きく発展させた立役者です。現在、工場跡地は「杉並区立桃井原っぱ公園」になっています。
また「西荻窪」を語るときに使われるのが、「狭間」や「穴場」というキーワード。確かに人気や街のにぎわいといった部分では、両隣の「吉祥寺」や「荻窪」に劣ります。また杉並区の西端に位置し、徒歩で隣の武蔵野市という位置。このような微妙なポジションにあったためか、両隣の街が都市整備、都市再生などの名のもと街づくりがすすめられるなか、「西荻窪」はそんな開発から取り残された感があります。
駅前を見てみると、この規模の駅であればありそうな広々としたロータリーはなく、道も細く狭く、低層の建物が密集。商店街は個店が中心で、特にアンティークショップが多い街として知られています。さらに南口の飲み屋街「柳小路」はとびきりディープなスポットとして人気。闇市の雰囲気が残り、マニアなファンが集います。
そんな「西荻窪」がいま危機にさらされています。まずは道路の拡張問題。駅の北に走る青梅街道から駅へと伸びる「区道・補助132号線」の一部を、幅11メートルから16メートルへと広げる計画です。東日本大震災以降、各地で街の防災力向上が緊急課題になっていますが建物が密集する西荻窪一帯も、例外ではありません。
「街の個性が失われる」と計画を反対する住民と、「暮らしを守る観点でも道路の拡張は緊急課題」とする住民で、意見は割れているようです。
もう一つが、街の人気の高まりです。もともと、杉並区の中央線沿線は個性的な街が揃い、メディアでも度々取り上げられてきましたが、ここにきて、「西荻窪」の何ともいえない“狭間感”に焦点があたり、特に若い女性を中心に、アンティークショップ巡りなどを楽しむ来街者が増えているというのです。街のにぎわいは歓迎することですが、一方で街の個性が失われるのではないかと心配する声も聞かれます。
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