郊外の農村が、おしゃれで憧れの街になるまで
「自由が丘」は東京都目黒区に位置する、東急電鉄東横線と大井町線の接続駅。1日の乗降客数は約15万人程度です。
1927年の開業時、近隣のお寺の名前にあやかって「九品仏(くほんぶつ)」と命名されましたが、よりお寺に近いところに現「九品仏」駅ができることになり改名。駅の近くに自由教育を旗印にした「自由ヶ丘学園」が開校したこともあり、「自由ヶ丘」駅と改称(1966年に、現「自由が丘」に改称)されました。
単なる郊外の農村でしかなかったエリアですが、鉄道開通後は急速に発展。ブティックやカフェなど、おしゃれを絵にかいたようなショップが並ぶ、都内でも随一のおしゃれなショッピングタウンであり、高級住宅地として知られるようになりました。街の通りには、「マリ・クレール通り」「メープルストリート通り」「サンセトアレイ通り」など、他の街ではちょっと違和感のある素敵な名前がつけられています。そして街のベースになるのが、1,300ほどでショップ構成される国内最大級の「自由が丘商店街振興組合」。商店街が中心となり、1年を通して、さまざまなイベントが行われています。
そんな「自由が丘」ですが、街の代名詞といえばスイーツ。1933年に日本で初めてモンブランを販売した洋菓子店「モンブラン」が、戦後、付近から移転。さらに1938年創業の和菓子店「亀屋万年堂」の定番商品ナボナが、ホームラン王、王貞治のCMで話題になると、次第に「自由が丘=スイーツの街」と認識されるようになり、多くのスイーツショップが集積。マカロンが日本で最初に販売されたのも、自由が丘のダロワイヨといわれ、洋菓子界の巨匠、辻口博啓氏のモンサンクレールもここ自由が丘に誕生しました。2003年、日本初のスイーツのテーマパーク「自由が丘スイーツフォレスト」のオープンで、そのイメージは不動のものになりました。
もう一つ注目したいのが、おしゃれから取り残された街の一角。駅の北東と南西には、昭和時代のままのような飲食店街があったり、戦後の闇市をルーツにもつ「自由が丘デパート」と「ひかり街」があったり。ハイソな街とのコントラストが強烈で、異彩を放っています。
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