どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。今回取り上げるのは、東急東横線と大井町線「自由が丘」。

郊外の農村が、おしゃれで憧れの街になるまで

「自由が丘」は東京都目黒区に位置する、東急電鉄東横線と大井町線の接続駅。1日の乗降客数は約15万人程度です。

 

1927年の開業時、近隣のお寺の名前にあやかって「九品仏(くほんぶつ)」と命名されましたが、よりお寺に近いところに現「九品仏」駅ができることになり改名。駅の近くに自由教育を旗印にした「自由ヶ丘学園」が開校したこともあり、「自由ヶ丘」駅と改称(1966年に、現「自由が丘」に改称)されました。

 

単なる郊外の農村でしかなかったエリアですが、鉄道開通後は急速に発展。ブティックやカフェなど、おしゃれを絵にかいたようなショップが並ぶ、都内でも随一のおしゃれなショッピングタウンであり、高級住宅地として知られるようになりました。街の通りには、「マリ・クレール通り」「メープルストリート通り」「サンセトアレイ通り」など、他の街ではちょっと違和感のある素敵な名前がつけられています。そして街のベースになるのが、1,300ほどでショップ構成される国内最大級の「自由が丘商店街振興組合」。商店街が中心となり、1年を通して、さまざまなイベントが行われています。

 

 

[関連セミナー]
投資について理解が深まる1時間
資産形成の第一歩【不動産投資セミナー】

 

 

そんな「自由が丘」ですが、街の代名詞といえばスイーツ。1933年に日本で初めてモンブランを販売した洋菓子店「モンブラン」が、戦後、付近から移転。さらに1938年創業の和菓子店「亀屋万年堂」の定番商品ナボナが、ホームラン王、王貞治のCMで話題になると、次第に「自由が丘=スイーツの街」と認識されるようになり、多くのスイーツショップが集積。マカロンが日本で最初に販売されたのも、自由が丘のダロワイヨといわれ、洋菓子界の巨匠、辻口博啓氏のモンサンクレールもここ自由が丘に誕生しました。2003年、日本初のスイーツのテーマパーク「自由が丘スイーツフォレスト」のオープンで、そのイメージは不動のものになりました。

 

もう一つ注目したいのが、おしゃれから取り残された街の一角。駅の北東と南西には、昭和時代のままのような飲食店街があったり、戦後の闇市をルーツにもつ「自由が丘デパート」と「ひかり街」があったり。ハイソな街とのコントラストが強烈で、異彩を放っています。

 

まるで外国のような一角も
まるで外国のような一角も

 

----------------------------------------------------------------------------------------------
[PR]不動産投資、いきなり始めるのはあまりに危険!
年収500万円会社員向け、不動産投資を始める前に受けるべき相談会 詳細はこちら>>>
年収800万円会社員向け、不動産投資を始める前に受けるべき相談会 詳細はこちら>>>

----------------------------------------------------------------------------------------------

 

次ページこんなにショップがあっても、買い物は不便!?

あなたにオススメのセミナー

    人気記事ランキング

    • デイリー
    • 週間
    • 月間

    メルマガ会員登録者の
    ご案内

    メルマガ会員限定記事をお読みいただける他、新着記事の一覧をメールで配信。カメハメハ倶楽部主催の各種セミナー案内等、知的武装をし、行動するための情報を厳選してお届けします。

    メルマガ登録
    会員向けセミナーの一覧
    TOPへ