「個人財産のほとんどが自社株」から生じた問題とは?
株式会社雨宮蒲鉾(A社)は、蒲鉾製造を地場産業とする地方都市で、創業者・雨宮恵一(64歳)が40年前に創業した小さな工場から一代で発展し、現在では蒲鉾製造卸売業として百貨店やスーパーにも製品を納入する、年商10億円、パートを含め50名の従業員を擁する、地域優良企業となっています。
恵一には、早くから入社して既に専務取締役となり、名実共に後継者に決まっている長男・俊正(37歳)と、学生時代から遠く離れた町に行って一般企業に就職し、今ではほとんど交流のない二男・隆正(35歳)の2人の息子がいます。
恵一は仕事一筋で頑張ってきて、これまで事業承継など考えたこともなく、発行済1000株の全部を一人で所有しているままの状態ですが、昨年に妻を亡くし、それ以来そろそろ引退して俊正に後を任せたいと考えるようになってきました。
しかし、これまで何度かの経営危機の際に個人財産の多くを会社に注ぎ込んできたため、恵一の個人財産のほとんどがA社の株式となってしまっています(図表1)。
[図表1]雨宮恵一の所有財産一覧
そのため、隆正の遺留分相当割合と両名の相続税の納税まで考慮すると、隆正にも自社株式の相当割合を相続させ、かつ納税資金のために俊正が取得した株式の一部を会社に売却するしかないということとなり、将来の財産承継案を検討した結果、俊正の占める議決権比率が3分の2を割ってしまう見込みとなってしまいました(図表2~5)。
[図表2]課税対象金額
3億円-3,000万円(基礎控除)- 1,200万円(相続人数×600万円)=2億5,800万円
[図表3]相続税見込み額
2 億5,800万円× 35%(概算税率)≒ 9,000万円
[図表4]財産承継案
[図表5]相続後の株主構成
株主と協力して一部株式を「種類株式」へ転換する
上記のように、後継者である雨宮俊正の議決権比率が64.7%となり、会社を日常的に支配できる3分の2を割りこんでしまうため、事業承継の後に何かと隆正に配慮して経営判断を下さなくてはならなくなる可能性が出てきました。
そして隆正は、今の時点では特に会社の経営に口を出すつもりはないものの、父からの相続財産として株式を取得したいとの意向はあるようですので、その両者の調整を考えたところ、隆正が取得する株式については、議決権制限(完全無議決権)及び配当優先株式とするのが適当であるとの結論に達しました。
この場合、既に発行済となっている雨宮恵一の保有している株式の一部(265株)について、これを普通株式から種類株式に転換する手続きが必要となりますが、これに関しては実は会社法上での規定は存在せず、実務上では登記の先例で「全株主の合意と会社の承認」があれば可能であるとされています。
幸いにもA社は、現時点では雨宮恵一のみが株主なので、恵一だけの意思決定で一部株式の種類株式化が可能となりますが、一人でも別の株主が存在していた場合には、その株主の協力なくしては種類株式への転換が不可能となるので注意が必要です。
また、恵一の相続の際に、普通株式を俊正に、種類株式を隆正に取得させるためには、恵一による遺言書の作成が必須条件となること、そして種類株式への転換も遺言書の作成も、いずれもが恵一が認知症等になって自ら意思決定できなくなってしまう前の段階で実行しておかなければ有効にならないということも忘れてはなりません。
[図表6]種類株式による対策スキーム
「策を弄するもの策に溺れる」という事態にも留意
上記スキームの実行によって、当面の事業承継対策は一応完了し、今は兄弟仲も特には問題になっていませんが、現実には恵一の寿命は誰も予測することができないですし、今後の俊正と隆正の兄弟関係もどう変わって行くかわからず、かつ今後さらに次の相続が発生することまでを考えれば、この対策だけで本当にすべてが完了するのではないでしょう。
例えば今後のリスク発生に備えて、さらに「取得条項付種類株式」や「属人的株式」を併用するなどのスキームも考えられますが、あまり多くの策を講じ過ぎることにより、かえって「策を弄するもの策に溺れる」といった事態も有り得ますので、十分な注意が必要です。
そういった意味から、種類株式による対策は、あくまでも物理的な作用を期待するに過ぎず、事業承継の本質は、現経営者が心を尽くして子どもたちや会社関係者と話をし、理解し合い、すべての関係者が納得・合意して会社の後継者を盛り立て、会社を維持発展させ、長寿企業を目指すことであるという原点を、決して忘れないでいただきたいと思います。