一般の家族が、病院と同様のケアをするのは無理
要介護の高齢者が自宅で療養するとなったときには、筆者のクリニックのような在宅医療をしている医療機関と契約し、在宅で介護をすることになります。しかし在宅での介護も、親のためにと頑張りすぎてしまうと、それが裏目に出てしまうことがあります。
いざ在宅介護を始めるとき、まじめで親思いの人ほど「家でも親をちゃんと看てあげたい」「自分がちゃんと介護しなければ」という気持ちが強いのでしょう、病院で行っていたのと同じか、それ以上の看護・ケアを自宅でしようとされます。
たとえていえば、次のような感じです。
朝に親が起きたら汗をかいた下着を着替えさせ、体を拭いて体温や血圧をチェックする。食事は、血圧や血糖値を悪くしないようにと毎日工夫して献立を考え、料理を手作りして、1日3食しっかり介助をして食べさせる。また食事の前後や生活の合間にたびたびトイレに付き添い、夜中でも親が呼べば何回でも起きて介助をする。
要介護度が上がってきておむつを使用するようになれば、汚れるたびにまめにおむつ交換をし、ベッドで寝ている時間が長くなれば、床ずれ予防のために数時間ごとに体位を変える。痰の吸引などの医療行為がある場合でも、病院でやっていたのと同じ頻度で吸引をし、そのたびに器具の洗浄などを行う…。
もちろん、こうした在宅介護を続けられるのであれば、介護としてはすばらしいかもしれません。けれども、一つ一つの介護・介助をていねいにしようとすれば1回の食事だけで、準備から片付け、食後の服薬、口腔ケアなどでかるく1時間、調理を含めると2時間はかかると思います。それを1日3回ですから、ほとんど半日を食事に費やすことになります。
また、夜も親に呼ばれるたびに起きていては、介護をする人は寝る時間をとれません。
高齢の親御さんは夜にたびたび起きても昼間に睡眠をとれますが、仕事や家庭をもつ子ども世代はそうはいきません。こうした昼も夜もすべての時間を介護に注いでしまうようなやり方は、どうしてもどこかで無理が生じてきます。
介護する家族が「体を壊して燃え尽きる」まで
そもそも病院や高齢者施設では看護師や介護士、栄養士などの専門職が、それぞれ職務の分担をしたり時間で交替をしたりしながら、高齢者の介護を行っています。
それと同じことを一般の家族が24時間365日やろうとすれば、いずれ体を壊すなどして燃え尽きてしまいます。
こうなると結局、在宅介護は続けられなくなり、「親には悪いけれど、病院に戻るか施設に入ってもらうしかない」となります。
そして親御さんはベッドに寝かされているだけの生活に逆戻りしてしまい、子ども世代には「親をちゃんと看てあげられなかった」という重苦しい後悔が残ります。
長年在宅医療に携わってきた筆者は、そういう事例を数多く目にしてきました。
金銭負担、家庭へのしわ寄せ…子どもの人生が壊れる
ときどき入退院をしながら、在宅での介護が続いたとしても、介護によって子ども世代の「人生」が壊れてしまうこともあります。
親の介護をする子ども世代は、住宅ローンや教育費などを抱えている人も多いものです。介護のために離職や休職、あるいは介護と両立しやすいパート勤務に転職などをすれば、以前に比べて収入が少なくなり、子どもの進路や家族のライフプランを変更しなければならないこともあります。
お金の問題でいえば、親のお金で対応するはずと思っていた医療費や介護費用が、子ども世代にふりかかることもあります。
一人暮らしだった親が突然倒れて意識がない、または認知症が進んで金銭管理ができなくなっていたといった場合、子どもが医療費などを肩代わりすることがあります。75歳以上の医療費の自己負担は、基本は1割(高所得者は3割)ですが、数ヵ月単位の入院ともなれば、やはりまとまった額になります。
ほかにも介護費用では、親が夫婦で存命のときは年金で介護費用を払えた人でも、父親が亡くなって母親一人になると、年金額が少なくなり、親のお金だけでは介護費用をまかなえなくなるケースがあるようです。
そこで親を思う気持ちから、子どもが介護費用の一部を負担することになり、なかには介護ローンを組んで費用を捻出するようなケースもあるといいます。
お金だけではなく、親の介護に力を注ぐあまり、自分の家庭のことに手が回らなくなってしまい、家庭不和や離婚に発展することもあります。
また子ども世代が独身の場合、介護離職にはかなり注意が必要です。
仕事をやめた後は、親と同居をして親の年金で生活をするか、子どもが自分の貯蓄を取り崩して介護をすることになります。それでも当面は生活ができますが、介護生活が長くなれば、いずれは貯蓄も底をつきます。
親が「亡くなった後」の問題はさらに大きい
さらに問題になるのは、親が亡くなった後です。
唯一の収入源だった親の年金がなくなるうえ、「介護が終わったから、さあ就職を」と思っても、年齢がネックになって再就職先がなかなか見つからないケースが少なからずあります。これは実は年齢だけの問題ではなく、介護に長期間のめり込んでしまうと、介護中心の生活が染みついてしまい、視野も狭くなって会社勤めには戻れなくなる人が少なくないのです。そうなると、介護を頑張ってきた息子や娘が、いきなり貯蓄も収入もない生活困窮者になってしまいます。なかには、親を見送った後に、自分の存在意義がわからなくなったり、生活苦などを理由に自殺してしまう人もいます。
中高年の子ども世代は、介護が終わった後も30年、40年と長く人生が続きます。それを考えると、親の介護によって子ども世代の生活が立ち行かなくなる“親子共倒れ”は、できる限り避けなければなりません。
介護は親の状態が変わるごとに、必要な医療や介護が変わり、明確な見通しをもつのはむずかしいものです。そして、人によっては介護生活が5年、10年と思った以上に長く続くこともあります。
親のためを思うと同時に、子ども世代は自分の生活を守れる介護のスタイルを考えていくことも必要でしょう。
「もうやめてくれ」終日ベッドに縛りつけられる
また親の介護をしている子ども世代の方々に、知っておいてほしいことがあります。それは、「親のためにできる限りのことを」という頑張る介護は、息子さん、娘さんの思いとは裏腹に、親御さんを苦しめてしまうということです。
たとえば、高齢になるとさまざまな臓器の機能が落ち、心不全などの慢性疾患を抱える人が多くなります。特に心不全では状態が悪くなると入院し、入院治療でいったんは良くなるものの徐々に悪化し、また入院する、という経過を何度も繰り返します。そうしたなかで次第に高齢者は「いままでいろいろやってきてもう治療は十分。病院で入院まではしたくない」となる人も多くいます。
しかし、子ども世代は「そんなこといわないで」「もう少し頑張ろう」としぶる親を説得し、熱心に治療を望むことがよくあります。
その結果、心不全ならば入院してカテーテルを入れるなどの治療を行い、高齢者は体力を消耗します。さらに病院では有無をいわさずおむつをつけられ、勝手に動いて管を抜かないようにと手にはミトンをはめられ、終日、ベッドに縛りつけられるようにして過ごします。
そうした入院生活が続くうちに認知機能も落ちてしまい、結局、自宅に戻ることなく病院や施設を転々としながら亡くなる。そういう例が非常に多くあります。
心不全の末期を在宅で迎えるのはなかなかむずかしいものですが、苦しむことなく人生の最期を過ごさせてあげたいと思うなら、生活の中で治療をしていくことが大切です。
例をあげると80代、90代の親に膵臓がんが見つかったといった場合、おそらく医師は、手術という選択肢はリスクのほうが大きいと判断します。膵臓は体の奥深くにある臓器ですから、手術をすれば体を大きく傷つけることになります。80代、90代という年齢では、一般にはそんな大手術に耐える力は残っていないものです。
けれども、息子さん・娘さんのだれかが「少しでも可能性があるなら、治療をしてほしい」と望むことがあります。そして結局、手術をしても親御さんの意識は戻らず、そのまま病院で亡くなる、という経過になることが少なくありません。
「治療をせずに家にいたほうが…」というケースも
近年は検査技術が発展し、病院へ行って詳しく調べれば、高齢者には病気がすぐに見つかってしまいます。しかし、見つかった病気をすべて治せるほど、医療に万能の力があるわけではありません。また、それによって高齢期の生活が病気の治療一色になってしまうのは、決して幸せなことではないと思います。つまり、どこかの時点で見極めて在宅医療に切り替えることが必要なのです。
もちろん、子ども世代が親に対し「できるならば治療をして、少しでも長く生きてほしい」と願う気持ちはよくわかります。
そして、いつ、どういう治療をするか、しないかは、家族にとっても、医師にとってもとてもむずかしい問題です。筆者が一概に何がいい悪いと決めることはできません。
それでも、こういうシーンに立ち会うたびに、果たして親御さんのためにはよかったのだろうか、治療をせずに家にいたほうがずっと穏やかに暮らせたし、家族との時間もたくさんもてたのではないか…そういう思いが頭をよぎります。
ですから、いざ親御さんが倒れたような緊急時ではなく、まだ元気なうちから在宅医療に切り替え、慣れていくことを、おすすめしています。
井上 雅樹
医療法人翔樹会 井上内科クリニック 院長