「延命で苦しむのはイヤだ」「慌てて救急車」…在宅死のリアル

「最期は自宅で過ごしたい」、「最期は自宅で看取ってあげたい」。高齢者の介護において多くの人が望むことです。しかし、願望に反して「在宅死」や「在宅看取り」は実現可能であると答える割合はごくわずかであり、医療機関などの自宅以外の場所でなくなる人が圧倒的多数であるという現実があります。高齢社会に生きる人々としていっそう身近なテーマとなる「最期の過ごし方」に希望はあるのでしょうか? ※本連載は『大切な親を家で看取るラクゆる介護』(幻冬舎MC)から抜粋・再編集したものです。

「在宅看取りは実現可能」と考える人はわずか6%

現在の日本社会は、かつて経験したことがないほど高齢者が多くなっています。そのため、終末期にどのような医療を受けたいか、どこで人生最期のときを過ごしたいか、といったことが盛んに議論されています。

 

病院でたくさんのチューブにつながれて意思表示もできない。そんな状態で無理に生かされるのはごめんだ、できるならば自宅で穏やかに逝きたい。そう思う高齢者が増えていることもあり、最期まで自宅で過ごす「在宅死」や「在宅看取り」も、一般の人びとの間で話題に上るようになってきました。

 

しかし実際には、在宅死・在宅看取りが身近になっているかというと、必ずしもそうとはいえません。まだまだ病院で亡くなる高齢者が圧倒的多数を占めています。

 

在宅でしばらく介護をしていて、なんとなく「いずれは看取りも」と考えていた家族でさえいざ親御さんの容態が変わると、慌てて救急車を呼んで病院へ運んでしまうケースが多々あります。

 

おそらく、高齢者本人は「最期まで、住み慣れた自宅で過ごしたい」というのが本音だと思います。

 

内閣府が60歳以上の人を対象に行った調査では、完治が見込めない病気になった場合の最期を迎える場所の希望を尋ねたところ、「自宅」が51%でもっとも多くなっていました。性別で分けると、女性は自宅を希望する人は43.8%ですが、男性では59.2%と6割近くに上ります。また年齢が高くなるほど、自宅を希望する人の割合が高くなります(「高齢者の住宅と生活環境に関する調査」)。

 

これまで、1000人以上の看取りを行ってきた筆者としても「看取りの場所は自宅がいい」と感じています。

 

これは必ずしも、もとから住んでいた自宅でなくてもいいのですが、高齢者住宅なども含め、日常生活を送っていた場でそのまま命を終える、というのが高齢者本人にとって、もっとも自然で安らかな最期ではないでしょうか。

 

ところが、別の調査によると、最期まで自宅で療養することが「実現可能である」と考える一般国民は、わずか6%に過ぎませんでした。逆に「実現困難である」と回答した人は、66.2%に上ります(厚生労働省「終末期医療に関する調査」)。

 

暮らしなれた家で最期を過ごしたいと願う高齢者は多いが…
本音は「最期まで、住み慣れた自宅で過ごしたい」。しかし現実は…

「理想は在宅死・在宅看取りだが、非現実的」と諦念

自宅で最期まで療養することが困難な理由としては、「介護してくれる家族に負担がかかる」という人が8割、「症状が急変したときの対応に不安がある」と答える人が半数を超えていました。

 

自宅での療養:60% 以上の国民が、最期まで自宅での療養は困難と考えている。「実現可能である」と回答した者の割合は一般国民(6%)よりも医療福祉従事者が上回った(医師26%、看護師37%、介護士19%) 出典: 平成20 年 厚生労働省「終末期医療に関する調査」
[図表1]終末期医療に対する国民の意識調査 自宅での療養:60%以上の国民が、最期まで自宅での療養は困難と考えている。「実現可能である」と回答した者の割合は一般国民(6%)よりも医療福祉従事者が上回った(医師26%、看護師37%、介護士19%)
出典:平成20年厚生労働省「終末期医療に関する調査」

 

出典: 厚生労働省「終末期医療に関する調査」(各年)
[図表2]自宅で最期まで療養することが困難な理由(複数回答) 出典:厚生労働省「終末期医療に関する調査」(各年)

 

要するに、高齢者は、本当は家にいたいにもかかわらず、「自分のことで子どもに迷惑や苦労をかけたくない」という思いから、在宅死は無理だろうと考えているようです。

 

そして親の介護をする子ども世代も、「できるものなら親を最期まで自宅で過ごさせてあげたいけれど、急変時などの対応に自信がもてない」と、在宅看取りに踏み切れずにいます。

 

結果的に親にも子にも、「在宅死・在宅看取りは理想だが、現実には厳しい」、そんなあきらめの気持ちを持つ方も多いようです。

「気楽で緩やかな介護」が「最期まで家で」を実現

筆者が在宅医療に関わるようになって、すでに20年以上が過ぎました。そのなかで親御さんの介護にたいへん苦労をされている娘さん、息子さんを数多く見てきました。

 

同時に、人生の最終盤に病院で自由を奪われ、望まない延命医療を施されて、苦しみのなかで亡くなる親御さんも、たくさんいらっしゃいました。

 

筆者自身も年齢を重ね、高齢者の一人となって感じるのは、いまのような「最期まで治療する」「できることはすべてやる(やってあげたい)」という頑張る一方の介護・医療では、高齢の親御さんも子ども世代も幸せにならない、ということです。

 

人が年をとって病を抱え、やがて命が終わる。それは本来、決して特別なことではありません。ごく自然で当たり前の、すべての人が通る道です。

 

筆者は「高齢になった親の介護」というものをもっと気楽に、ゆるやかに考えたほうがいいと思っています。子ども世代の生活に無理のない範囲で、できることをする。本当はそれで十分です。

 

親御さんだって、娘や息子に介護をしてもらえればありがたいと思う反面、自分のためにわが子が苦しむ姿は見たくないはずです。それが親心というものでしょう。

 

たとえ認知症が進んで子どもの顔がわからなくなっても、子を思う親の気持ちが完全になくなるわけではありません。高齢の親は、穏やかに自分自身の人生を終えたいと願いつつ、息子・娘たちにもやはり幸せになってほしいのです。

 

幸いなことにいまは「介護が必要になった高齢者を、住み慣れた地域で支える」という方針で始まった介護保険制度があります。

 

2000年にこの制度が導入されてちょうど20年になる現在は、各地で在宅医療を行う診療所や訪問介護・訪問看護の事業者も増え、家族とともに要介護の高齢者を支えるネットワークが広がっています。

 

そうした社会資源をうまく活用すれば、家族にとってより無理のないかたちで、高齢者の療養生活を支えることができます。

 

そして、ゆるやかな在宅療養・介護で穏やかな時間を過ごすことができれば、「最期まで家で」という在宅看取りも、もっと身近で実現可能なものになるでしょう。

 

“生活の場で生活を終える”ことは、その人の尊厳を守りながら命を終えることであると、筆者たちは考えています。

 

 

井上 雅樹

医療法人翔樹会 井上内科クリニック 院長

 

医療法人翔樹会 井上内科クリニック 院長

1972年、東京大学に入学後、医学を志し1976年に名古屋大学に再入学。1982年、名古屋大学医学部卒業。袋井市民病院、中津川市民病院に勤務ののち、市立四日市病院、臨港病院等で消化器科部長を歴任。1996年に井上内科クリニックを開院、同時に在宅医療をスタート。

2001年からは地域に根ざした医療・介護の担い手として「デイサービスセンターほほえみ(現・デイケアほほえみ)」の運営に着手し、2020年現在、同グループは訪問看護ステーション、住宅型有料老人ホーム等14事業所を手がける。

クリニックおよびグループ全体で「『その人らしく』を最後まで」を理念に、患者と家族の在宅生活・在宅介護のサポートを続けており、在宅での看取り実績は累計1,000人以上。

著者紹介

連載介護離職、家庭不和…子ども世代を不幸にする「頑張る介護」への警鐘

大切な親を家で看取るラクゆる介護

大切な親を家で看取るラクゆる介護

井上 雅樹

幻冬舎メディアコンサルティング

介護保険制度が始まって20年近くが経ち、「在宅医療・介護」「在宅看取り」という言葉は以前より知られるようになっています。 しかし実際は、高齢者の希望をくんで在宅介護を始めたものの、家族のほうが疲弊してしまい、在…

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