義父と夫とその妻…3人で切り盛りした小料理屋
「最初は、『なんでこんな人と結婚したんだろう』って考えていましたよ」
そう笑うのは、街でも名の知れた小料理屋の女将、A子さん。結婚したのは、いまから20年ほど前のことで、夫は小料理屋の後継ぎでした。店を始めたのは、50歳にして脱サラした義父。その1年前に最愛の妻を亡くし、ふさぎこんでいた義父でしたが、一念発起し、駅近くの1戸建てを購入。改装して小料理屋をオープンさせたそうです。夫は当時、大学生でした。
「何をやっているんだよ、母さん亡くなったばかりなのに」と、最初は突然会社を辞めて店を始めた父に呆れていたといいます。しかし50歳にして大きなチャレンジをしている父のことが、次第に格好よく見えてきたといいます。一度は普通に就職をした夫でしたが、3年ほどで会社を辞めて、父の店で働くようになりました。
A子さんとその夫が出会ったのは、夫が大学卒業後に就職した会社。同期だったこともあり、意気投合して交際に発展したといいます。
「付き合い始めて3年ほど経ったとき、大事な話があるといわれたんです。プロポーズだと思うじゃないですか。そしたら、『会社を辞めてお父さんの店で働く』っていうんですよ。そんな自分だけど、これからも付き合っていってほしいって」
A子さんは、あまりに思いがけない恋人からの告白に、ただただびっくりしたといいます。
「それで、なぜかわたしからプロポーズしちゃんたんです。付き合うのは無理。かわりに結婚してって。変ですよね」
こうして二人は結婚。A子さんはそのまま会社で働いていましたが、ある時、小料理屋が雑誌で取り上げられたのをきっかけに、客足が止まらに人気店に。父と息子だけで切り盛りするには忙しすぎると、人を雇うことを考えていました。
「それで思わず、会社を辞めて、店を手伝うようになったんですよね。それがすべての始まりでした」と笑うA子さん。店は忙しく、毎週の1日ある定休日は、夫婦、泥のように眠る――そんな結婚生活だったといいます。
「休みなんてゼロ。忙しすぎて、夫婦だけの想い出なんてないんです。いま思えば、無理やりでも新婚旅行に行けばよかったですね」
そう寂しそうに話すA子さん。なぜなら、夫は3年前に他界してしまっていたのです。
突然の夫、そして義父を亡くした女将は…
それは突然のことだったといいます。仕込みをしているときに急に苦しみだし、病院に救急搬送されましたが、すでに手遅れでした。そのときばかりは、1週間ほど、店を閉めたそうです。
「休んだのは1週間だけでしたね。夫には、弟と妹がいるんですが、たまに手伝ってくれることもありますが、基本的に義父と二人で店を切り盛りしてきました。お店を開けないと、生活していけないですからね、わたしたち。でも、ゆっくりと夫のことを思い出す時間くらい取りたいな、と最近は思うんですよね」
そんなことを考えていた矢先、今度は義父が倒れてしまいます。すぐに病院に運ばれましたが、意識不明。いつ、何が起きてもおかしくない、という状態でした。A子さん、そのときばかりは、店を閉めようか悩んだといいます。しかし義父、そして夫の思いがたくさん詰まった大切な店です。メニューを絞り、座席をカウンターだけにして営業を続けることにしました。
「奇跡が起きて、お義父さん、眼を覚ますかもしれないじゃないですか。だからお店は閉められないと思って」
しかし、その願いはかないませんでした。1週間後、義父は帰らぬ人になりました。葬儀が終わり、初七日が過ぎた店先には、A子さんの姿がありました。
「お店!? これからも続けていきますよ。常連さんが、うるさいんです。『いつお店を開けるんだ?』って。大切なお客様ですから、ないがしろにしていたら、義父や夫に怒られてしまいます」
再び、活気を取り戻したかのようにみえた小料理屋。しかし突然の危機が襲います。ある日、開店前の店に、夫の弟と妹が姿を現しました。
A子「今日はどうしたの?」
義弟「ちょっと話があって」
A子「はなし?」
義妹「このお店のことなんだけど、お父さん(=義父)のものじゃない、このお店」
A子「そうね」
義弟「だから、俺らが相続することになるんだけど……」
A子さん、瞬間的に嫌な予感がしたといいます。
義妹「お兄ちゃん、話しにくいなら、わたしが話すわよ。お義姉さん、このお店、売ることにしたわ」
A子「……それは、もう決めたこと?」
義弟「ほら、この辺のずいぶんと土地の値段もあがっただろう。業者に聞いてみたんだよ、この店、どれくらいになりますかって。そしたら、軽く、億を超えるって」
A子「このお店、お義父さんや夫の想いが詰まっているんです……」
義弟「わかるよ。でも税金とか、払うのA子さんじゃないでしょ、俺らでしょ。それとも俺らから、この店買ってくれる? そんなお金、あんの?」
義妹「仕方がないのよ。お父さんの相続のことで、お義姉さん、何もいえないんだもの」
確かに、自分には義父の相続で口を挟む権利はない。しかし義弟や義妹は、義父や夫の気持ちをくんでくれるに違いない――そう考えていたA子さんでしたが、残念ながら店は閉店することになったといいます。
相続人に財産を残すなら遺言書の作成を
法定相続人は、民法で定められた相続人のことをいいます。配偶者は必ず法定相続人になり、配偶者以外の法定相続人には優先順位があります。第1順位の法定相続人は子供ども、第2順位は直系尊属である父母、第3順位は兄弟姉妹となります。
今回の事例では、父(=義父)の配偶者は亡くなっているので、その子どもたち、すなわち弟(=義弟)と妹(=義妹)は相続人ですが、亡くなった兄(=夫)の配偶者であるA子さんは相続人ではありません。
このように、相続人ではない人に遺産を残したいのなら、遺言書が有効です。遺言書に遺志を綴れば、法定相続人以外にも遺産を残すことができます。
その際に気を付けるべきは遺留分です。遺留分は、亡くなった人の家族が、今後の生活に困らないようにするために、必要最低限の金額は相続できるようにするための制度です。その目安は、法定相続分の半分。事例において、たとえば「遺産のすべてをA子さんに相続する」という遺言書があったとしても、義弟や義妹は、法定相続分の半分を遺留分として請求できるわけです。
事例のように、万が一のことが突然おこり、トラブルに発展することはよくあります。相続人ではない誰かに遺産を残したいと考えるなら、早めに遺言書を作成することをおすすめします。
【動画/筆者が「遺言書の基本」について分かりやすく解説】
橘慶太
円満相続税理士法人