子どもへの嫉妬を「しつけ」という大義名分で隠す母
◆娘の結婚相手を批判する母
女性であれば、現代ではまだ、ある程度の年齢になると家族、親族から結婚をどうするのかという話が出てくるでしょう。その際、多くの場合は、母から自分の結婚相手についての注文が付けられます。
もちろん善意で口を出すことほとんどでしょうが、気になるケースもあります。直接コントロールしようとあれこれ言うタイプの母と、間接的に子がそういう男を選ばないように誘導するというタイプと、2通りがあるようです。
間接的に言うタイプの人の言辞はこのようです。あの人はこういう男と結婚してこんな風になっちゃったわね、やっぱり女は男を選ばないとだめね、お父さんみたいな人と結婚できるといいけれどあなたは〇だから難しそうね、等。
子どもを「不幸にしたい」などとはもちろん、明示的に言うことは憚られるでしょう。けれど「お母さんを置いて、あなた一人だけ幸せになろうっていうの……?」という母親もいます。「自分が失敗したから子どもには失敗させたくない」なのか、「自分が失敗したから子どもには成功してほしくない」なのか、「自分の結婚はうまくいったけれど、自分以上に子が幸せになるのは許せない」なのか……。
母親たちが決して口にしない、気持ちの中に持っている暗さや重さを感じるとき、私も苦しい気持ちになります。いずれにしても、親本人が、自身では制御できないところに、「無条件で子の幸せを願う」という気持ちとは異質の軋みを抱えていることがあるようです。
これは、次節の「白雪姫コンプレックス」の説明とも重複するのですが、子が自分以上に評価されることに釈然としないものを感じ、憎悪する母もいます。そういう思いを母からぶつけられたことのない人には、驚くべきことのように感じられるかもしれませんが、実際に少なくないのです。
娘が目立っているとそれ以上に目立とうとして、年齢に合わないセクシーな服を着る母、娘がブラジャーを買ってと言うだけで「いやらしい」とけんもほろろに吐き捨てる母、髪を伸ばすことさえ許さない母、娘のファッションをいちいちチェックして、自分のほうが女として上だとマウントを取りにいく母、娘の生活ぶりを細かに観察し、女としてダメ出しをしてくる母……。
子どもが無邪気に幸せに過ごしているとどうにも腹が立ってしょうがない、という親も存在するのです。これが昂じれば虐待という形に発展します。子が調子に乗っているのが許せない、だから「しつけ」として罰を与えるのだ、という親側の言い分は、テレビでもネットでも虐待事件があるごとに周期的に流れますから、どなたもしばしば耳にしたことがあると思います。これは、保身のための詭弁などではなく、彼らの本心でしょう。
虐待する親は、子を調子に乗らせてはいけない、という感情を、ごく自然な愛情として自認しています。毒になる親も同じことで、自分の態度は愛情であると信じて疑わないものでしょう。子にとってはその言葉や行為が、紛れもない虐待や毒であったとしても。
愛情と攻撃を司る機構は意外にも脳の中では近接しています。また、この感情は、家族間のほうが他人よりも強く、互いの類似性が高いほど、高まってしまうものです(あえて本記事で親と表記している箇所は、この感情が母よりも父で強く感じられる可能性があるためです)。