「離婚遺伝子」「不倫遺伝子」と呼ばれるものがある
◆アルギニン・バソプレッシンについて
愛情物質、AVP(アルギニン・バソプレッシン)はオキシトシンとよく似た物質で、アミノ酸配列は双方ともに9個からなります。そのうち二つのアミノ酸が違っているにすぎません。ということは、そこそこ似ていると言っていいかもしれません。
アルギニン・バソプレッシンも、絆を作る物質です。オキシトシンが主に女性に働き、女性のほうが濃度も高い物質であるのに対して、アルギニン・バソプレッシンは男性側に機能してパートナーに対する愛着を支配します。そして、一般的な人間関係における親切心の度合を左右する物質でもあります。
これはアルギニン・バソプレッシンの分泌量というよりも、受け取り手であるところの受容体の問題でもあるのですが、この受容体のタイプは人間の場合はバリエーションがあります。アルギニン・バソプレッシンを受け取ったときにシグナルを伝えやすい受容体と、そうでない受容体の両方があるのです。
前者の人は、比較的親切行動を取りやすい。弱い者を見たときに率先して助けてあげようとするタイプなのですが、後者の人は、あまりそういうことをしません。見て見ぬふりをしたりとか、ここぞとばかりに搾取したりするという行動を取ったりもします。
この2種類のタイプではパートナーに対する振る舞いが変わってきます。親切行動を取りやすいタイプは、想像のとおりだと思いますが、婚姻関係を維持しやすい。逆のパターンの人は、男女ともに長期的な人間関係を結ぶのが難しいタイプです。つまり、婚姻関係を維持しにくい。あるいは、結婚という選択肢を取りにくい。未婚率と離婚率が高く「離婚遺伝子」「不倫遺伝子」などと呼ばれています。
といっても、この人たちが、100%離婚したり、不倫したりするわけではありません。人間の行動は遺伝子だけで決まるわけではなく、育った環境などにも影響されるからです。
相手の女性にもこのアルギニン・バソプレッシンの受容体にバリエーションがありますから、親切行動を取りやすい男性でも、相性によって、うまくいったりいかなかったりするのは当然のことです。組み合わせの問題だけでなく、社会的な問題や、それぞれの家庭環境など様々な問題がありますので、100%決まるわけではない。ただ、そういった傾向が見られるということで話題になった研究でした。
しかしながら、どうしてこんな遺伝子が残っているのでしょうか。
「結婚できない」と悲嘆にくれる女性の本質は…
このタイプの人たちは、いわばチーティング(反則)しているのであって、親切行動を取るタイプの人たちのリソースに乗っかっているわけです。他の人たちが作っている社会の仕組みに乗っかって、自分の遺伝子もあわよくば残させてもらおう、というかたちで、婚姻関係を築かずに、なんとか子どもを残そうとする戦略です。
男性だけでなく、女性でもそちらのタイプの遺伝子を持っている人がいます。遺伝子だけ残させてもらいましょうというタイプなのか、協力関係を築いて長期的な戦略で遺伝子を残していきましょうというタイプなのか、両方の戦略が人間の社会ではあり得るということになります。
◆父との関係の失敗による認知のゆがみ
婚活している女性の中には、なぜか焦っているのに決まらないという人が多くいます。自分の運命の相手が一人しかいないと思い込んでいるので客観的に見れば条件のよい相手でも振ってしまったり、一方で、「この人良さそう」と思った人に出会うと、ものすごくしがみついてしまったりもします。
しばしば、こうした極端な判断には父との関係が影響しています。父と母の関係が理想的に見えて、そこに自分の理想も重ね合わせようとしてしまったり(エレクトラ・コンプレックスもこのバリエーション)、あるいは逆に父のような男と結婚してなるものかと力むあまり、同じような人をつかまえてしまうというパターンです。不倫する父を持つ人が夫にも不倫される、などという現象を繰り返しよくみます。
「この人とやっていくのは難しいな」と思った場合にはそんなに我慢して一緒にいなくてもいい。我慢して一緒にいなきゃいけないという考え方が、そもそも合理的ではなく、認知のゆがみがある可能性があります。
せっかく出会った人だから、我慢して一緒にいないと、誰かから何か言われるのではないか。世間体が悪いのではないか。自分の価値が低いと思われるのではないか。もうこういう相手とはこの先出会えないのではないか。
どれも間違いです。
「自分は汚れている」と思わせる親の最もひどい行為
冷静に統計的に計算すれば、人間の男性の個体数は自分一人と比べて十分多くこの世には存在しているのですから、なんらかの方法で知り合った特定の一個体にしがみつかなくても、ほかに出会える可能性はいっぱいあります。「せっかく出会った人なのに結婚しないのか」「また相手を替えるのか」と、そんな声が内からひびいてくるのかもしれません。
でも選択権は自分のものなのです。あなた自身の判断と他人の無責任な意見とは別です。次に出会う別の人を選び取ったところで、いいか悪いか判断するのは第三者ではあり得ないのです。
◆性的虐待
父と娘の関係における「毒」のうち、最も看過できないもののうちの一つであるのがこの問題です。
子が親から逃げることは難しい。幼年であればなおさら、一人で生きのびる基盤の脆弱さから、脱出を試みても完全に逃げ切ることはほぼ不可能です。
性的な行為をしてくる親は、保護者の皮を被った加害者であり、子の最も基本的な信頼を毀損する裏切り者です。こうした親には、子を一人の人格と認める能力が欠落しています。それゆえ、子の感情を理解することができません。
行為のみに限らず、親の興奮を目的とした接触も同様に子を傷つけます。また、血のつながりのない養育者であっても親として、家族として、子と接しているわけですから、そうした関係の中でこのような行為をする人は同様の深い傷を子に刻むことになります。
子の苦痛は、これを母親をはじめとして誰にも相談できず、しかも自分も裏切っている側に加担しているのではないかという、罪悪感を持ってしまうところにあります。そして、長期にわたって自暴自棄なふるまいをさせてしまう原因となります。
恐ろしいのは、社会的・性的に逸脱した人々が加害者になるのではなく、むしろごくふつうの一般的な人が子に対してそうした行為に出ているという点です。教員や、警察官といった、倫理感の強い人と一般にはみなされる人でも加害者になり得ます。
子は、誰かに相談することを試みても、信じてもらえない、という経験を繰り返すうち、屈辱と無力感に負けて、沈黙してしまいます。
そして、自分で自分を傷つけてしまうのです。被害をうけた子は、自分を不浄と思いこむようになり、希死念慮や自己評価の著しい低さにずっと悩まされてしまうことになるのです。
「家族は仲良しでなければいけない」という幻想
◆仲良し家族が素晴らしいという幻想から自由になるために
もう一つ、わかっておくと楽になること。家族は仲良しでなければいけないというのは根強い考え方だけれども幻想だということです。仲良きことは美しきことだと数学の定理のように決まっているわけではありません。
たしかに仲がいいことは協力行動をとる上で便利ではあるかもしれない。けれど、それが美しいというのは本当に正しいのかどうか。ここには思考の罠があります。
「美しい」という価値には、人を思考停止にさせる魔力があります。本当は隠れた問題があるのではないかと考えることを止めてしまう。せっかく仲良し家族なのだから、問題点を掘り返してはいけないと思考にブレーキをかけてしまう。
別に仲良くなくてもいいのです。他人から見れば冷淡で、全く仲が良くないように見える家族が、実は非常に強い絆を持っているかもしれない。本当の絆なんて、他人から見えるものではないし、他人が評価することでもない。
遠くにいても、距離を置いていても、それはお互いが信頼しあったうえでなら、強い愛情の形かもしれない。いずれにせよ、他人がとやかく言うことではないし、とやかく言われることでもないのです。仲良し家族の美しいイメージは誰もが持っている自然なものではなくて、社会に洗脳されて刷り込まれる人工的なテンプレートかもしれないからです。
支配する側の人間にとっては、仲良し家族のもとに思考停止していてもらえる方が、労働力を確保しやすい。現に高度経済成長期は、家族のためにと命を削る思いで限界まで働かされてきた人も多かったはずです。しかし、時代は変わりました。絆から自由になるためのトレーニングがこれからの私たちには必要なのではないでしょうか。
中野 信子
脳科学者