自動車部品の相互補完や完成車の輸出入を行うASEAN
人口大国の中国とインドのほか、クルマのパラダイムシフトが大きく進んでいるのが東南アジア10カ国で構成される東南アジア諸国連合(ASEAN)だ。
国連の調査では、同域内の人口は2010年の5.9億人から2030年には7億人へと増加。また、国際通貨基金(IMF)の調査では、2013年に世界全体で2%だったASEANの国内総生産(GDP)は2019年には3%に増加すると予測している。
そうしたASEAN各国を、筆者は定常的に取材しながら各地の変化を体感している。時計の針を少し戻すと、80〜90年代にかけて、社会インフラが比較的整っているタイで日系自動車メーカーの生産拠点が生まれ、その周辺に自動車部品メーカーが進出した。
また、マレーシアではマハティール首相が旗振り役となり、プロトンなどの国産自動車メーカーの育成を進めた。そのほか、アメリカとの関係が深いフィリピンでも自動車産業育成の動きが出てきた。
その後、90年代半ばのアジア通貨危機を乗り越えたあと、2000年代になるとASEAN内で唯一人口2億人を超えるインドネシア市場の躍進が目立つようになる。インドネシアは、タイやマレーシアに次いで海外自動車メーカーの誘致と環境対策を狙い、小排気量のエコカー政策を推進している。
ASEAN各国間での貿易も盛んになっている。域内での自由貿易協定、およびASEANとインドとの間で2010年に発効した自由貿易協定によって、自動車部品の各国間での相互補完や完成車の輸出入が活発になった。
そうしたなか、「タイ+1」と呼ばれるタイ周辺国の存在感が増してきた。カンボジア、ラオス、ベトナム、そしてミャンマーの4カ国だ。
これら各国とタイは陸上輸送網として、東西回廊、南北回廊、そして南部回廊といったインドシナ半島内をつなぐ陸上のインフラ整備を続けてきた。
そのなかでも、ベトナムのホーチミン、カンボジアのプノンペン、タイのバンコク、そしてミャンマーのダウェイを結ぶ南部回廊の整備がもっとも早く進んでいる。というよりは、南部回廊しか整備が進んでいないと言える。その周辺には、各国が輸出入に対する税法を規制緩和した経済特別ゾーンを含む工業団地の建設が目立つ。
2011年の東日本大震災やタイの大洪水によって、リスク分散の観点からも「タイ+1」の発想が進んでおり、経済特別ゾーンを活用する日系企業は自動車関連のみならず増えている。さらに中国での人件費高騰を受けて「チャイナ+1」としても、これら4カ国への二次的なパラダイムシフトが進んでいる状況だ。
こうしてASEANの経済成長が続くなか、大きな節目になると言われているのがASEAN経済共同体(AEC)の発足だ。AECはアジア版のヨーロッパ経済共同体(EU)のような発想で考案された。ユーロのように共通通貨の発行に関する本格的な議論はないが、各国間の通関業務や各種の法務に対する規制緩和を進めるという考えだ。
このAECの発足を見越して、筆者は2014〜2015年にかけてASEAN各国の自動車産業の現場を徹底取材してきた。日系の大手メディア各社もAEC対応の取材チームを編成、またはバンコクの支局を拡充するといった動きが見られた。
ASEAN諸国にとって自動車産業は経済交渉の武器
丸2年かけてのASEAN取材のなかで、もっとも印象深かったのは関税に対する対応だ。
一般的には、各国間の関税撤廃や税制に対する規制緩和がAECの主な目的と言われるが、実際に各国の現場では「関税の規制緩和は、すでに自由貿易協定でほぼ完了している」という声が多かった。
また、経済特別ゾーンの整備が進むことで、課題が多かった投資規制についても目途が立つ国が増えていた。結局、AECは経済統合の枠組みだけではなく、それを越えた「さらに一歩進んだASEAN諸国の連携の場」であると感じた。
その感覚は、現実のものになりそうだ。2015年11月にASEAN加盟国がマレーシアのクアラルンプールで開いた共同会議で「AECを2015年12月31日に発足させる」と宣言。共同声明のなかでは、「政治・安全保障」および「社会・文化」での融合も視野に入れるとしている。
中国に対する政治的な駆け引きはもとより、アジア太平洋経済協力(APEC)、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)、そして環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)といったASEAN周辺で複雑に張りめぐらされている、先進各国や中国・ロシアの戦略図式に対するASEANの強い主張。
それがAECであり、そのなかで自動車産業はASEAN諸国にとっての「経済交渉における武器」なのである。