昭和時代「パンとミルクの給食」が続いた背景には…
◆なぜパンとミルクの給食を続けたのか
日本でパンとミルクの給食が続いたのは、アメリカとのあいだに「米国余剰農産物に関する日米協定」が結ばれていたからです。ところが、この協定が効力を失っても日本で和風の給食がただちに復活することはありませんでした。
協定から6年後の昭和37(1962)年には、政府内でパン給食の見直しが提言されています。しかし、米飯給食を可能にする制度が実際に始まったのは、協定が切れて20年後の昭和51(1976)年でした。パンとミルクこそ給食にふさわしいと信じる専門家が政府内にいたにしても、なぜ、こんなに時間がかかったのでしょうか。
その原因として考えられるのは、国内外の政治、経済、ならびに社会情勢の変化により、日本の農業がいくつもの困難な問題に直面していたことです。先進国はほぼ例外なく農業を手厚く保護しています。食料を確実に供給することは、国民の生活、ひいては命を守るうえで最優先課題の一つだからです。
日本も終戦後は食糧自給率を高めるべく、農業の近代化、機械化を通じて米の増産につとめました。しかし、食生活の変化によって米が以前ほど売れなくなると、農家は赤字になってしまいます。だからといって米を値上げしたら、生活の苦しい人が米を買えなくなるでしょう。これを防ぐには米農家に助成金を出して、米の価格を一定に保つ必要があります。
それなら、いっそ、海外からの安い輸入米に全面的に切り替えてはどうか、という声もありました。日本が経済発展をとげ、国際社会での地位や影響力が高まったことで、農作物を輸入せよという圧力が強くなっています。米をどんどん輸入すれば貿易問題も解決できて一石二鳥となるのでしょうか?
けれども、安いというだけの理由で、国民生活に直接かかわる米を輸入に依存してしまえば、相手国次第で一気に米不足におちいるおそれがあります。戦国時代、内陸に領地を持つ武田信玄は、海に面した隣国からの塩の流通を止められ「塩飢饉」に苦しみました。塩飢饉ならぬ米飢饉を避けるには、米の輸入を大幅に増やすわけにはいきません。その結果、米を供給すると費用がかさむ時代が続きました。
パン給食が長かったことで、米飯に戻すとなれば、炊飯器をはじめ、設備を一からそろえるための予算も必要です。その点、パンはメーカーから購入して配ればすむという強みがありました。
牛乳も同様です。アメリカからの脱脂粉乳の輸入により始まったミルク給食は、昭和33(1958)年から国産の牛乳に少しずつ切り替わっていきました。国内の酪農を育成するためです。しかし、こちらも供給過多が問題になっています。
そんななかで、学校給食に牛乳を提供すれば一定の売り上げが確実に見込めるとなれば、牛乳を打ち切るのは簡単ではないでしょう。かつては当たり前に行われていたご飯と味噌汁の給食も、ひとたびやめてしまうと、復活には大変な手間と予算がかかるのです。
好きな時間に食べるのを「黙認せざるを得ない」親
◆問題は食の欧米化ではない
欧米型の病気の増加に話を戻すと、じつは、その原因は食の欧米化そのものではありません。もっと大きな原因がかくれています(関連記事『外国の進めた「和食の改善」が、日本に新しい病気をもたらした』)。
終戦後に食の欧米化が進んでも、高度成長で豊かな時代になっても、それだけで食卓の風景が大きく変わることはありませんでした。ご飯と味噌汁があって、おかずが並んでいます。魚の塩焼きと煮物のときもあれば、ロールキャベツとポテトサラダのこともありました。
大切なのは、西洋料理のおかずであっても和食の枠組みにおさまっていたことです。淡泊なご飯はどんなおかずとも相性が良く、栄養価の高いおかずを添えることで理想的な栄養バランスを実現できていました。
その一方で、社会の変化にともなって、農村から都市部に移り住み、親子だけで暮らす核家族が増えました。祖父母がいないことで、しつけや行儀が後回しになって、団らんの延長としてテレビを観ながら食事をする家庭もあらわれます。
そのうえ共働きが増え、子どもは塾やクラブ活動で帰りが遅くなるなどして家族の生活パターンがばらばらになると、そろって食卓を囲むことすら少なくなりました。2016年に実施された「食生活に関する世論調査」によれば、家族と一緒に暮らす人のうち、家族全員で毎晩夕食を摂る人は約3人に1人しかいませんでした。
皆が時間に追われていることだけが原因ではないでしょう。社会の価値観が変わり、大人も子どもも自分の好みをはっきり主張するようになっています。家族全員を満足させるため、各自が好きなものを、好きな時間に食べるのを黙認せざるを得ない親が増えていると思われます。
嫌いなおかずは食べなくていい。おなかがすいたら、冷蔵庫から好きなものを出して温めて食べる。給食は残し、コンビニエンスストアで買っておいたお菓子を食べる。
たいして食べないかもしれないとなれば、ご飯を炊いて味噌汁を作るのは面倒なだけです。すぐに食べられるパンや、スープつきの麺類、パスタ、温めるだけのピザなどの加工食品を用意しておけば、調理が簡単なだけでなく、容器一つ洗えば後片付けが完了します。いうまでもなく、こういう食事は偏食におちいりやすいうえに、単調になりがちです。
また、しっかり噛まなくても飲み込める食品が好まれるようになったことで、弥生時代には一回の食事で約4000回噛んでいたのが、昭和時代の戦前には1420回になり、昨今は620回しか噛まなくなったというデータもあります。
そしてもっと大きな問題は、ご飯を中心とする和食の枠組みが消え、料理と間食の境界があいまいになったことです。こうして、日本人の栄養バランスが傾いてしまったと考えられます。
平成25(2013)年、「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録された背景には、和食の現状に関する専門家らの危機感がありました。
米だけでなく、味噌の平均購入量も1970年代後半の3分の2以下まで減りました。その半面、海外の和食ブームは勢いを増し、欧米とアジア向けの味噌の輸出は毎年のように過去最高を更新しているのですから皮肉なことです。
心配される「日本人の食生活」…でも希望もある?
◆現代の日本における米とパン
それでも希望はあります。牛肉の消費が低迷する一方で豚肉と鶏肉の消費は伸びており、近年、鶏肉が豚肉を追い越しました。健康意識の高まりから、低脂肪高蛋白の鶏肉があらためて注目されているようです。
平成28(2016)年に2万人を対象に実施された調査では、高度成長期に成人だった現在のシニア世代より、20代~30代の若い世代のほうが、和食に健康的なイメージを持つ人の割合が高いことが示されています。
その効果はあらわれてきているのでしょうか。[図表]を見てください。バブル経済が崩壊に向かう1990年ごろに平均コレステロール値が頭打ちになると、脳梗塞と大腸がんによる死亡率が相次いで下がり始めています。
このグラフ以外のデータから、糖尿病のいわゆる予備軍が減少傾向にあることと、乳がんの増加にブレーキがかかり始めたことも指摘されています。
魚の消費も、減少に転じたのは最近のことですから、十分に挽回可能でしょう。魚離れと聞くと、そんなに人気がないのかと思う人がいるかもしれませんが、現在でも、日本人は鶏肉と豚肉を合わせた消費量とほぼ同じだけ魚を食べています。
米はどうでしょうか。「食生活に関する世論調査」によれば、毎日少なくとも1回は米を食べるという人は90パーセントを超え、一日2回食べる人が全体の約半数におよびました。別の調査では、10~60代のすべての年代で70パーセント以上の人が「ご飯が好き」と回答しています。
これに対して、毎日少なくとも1回はパンを食べる人は39パーセントでした。パン食が根づいたといわれるわりには少ないですね。
「ご飯とパンの決定的な違い」って何?
ここで、日本におけるパンの位置づけを考えてみましょう。じつは、欧米には主食という概念がありません。料理の中心は肉であり、パンは野菜と同じく添えものです。ところが、米を主食とする日本人の目には、パンは「西洋料理の主食」と映っています。仮にも主食となれば、日本の食事でご飯とパンが同時に出てくることはありません。主食が二つあったらおかしいからです。
では、麺類はどうかというと、ランチタイムには、ざるそばとミニカツ丼とか、ラーメンと炒飯などのお得なセットが人気です。この組み合わせに違和感をおぼえる人が少ないのは、麺類を主食と考えていないからでしょう。ご飯と同じく炭水化物がおもな成分であっても、麺類は広い意味で「おかず」であり、それだけで食べることもできる「軽食」なのです。
しかし、パンが「第二の主食」だとしても、ご飯とパンを自由に置き換えることはできません。ご飯が和洋中、エスニックから麺類まで、どんなおかずにも合うのに対し、パンはどうでしょう。パンの隣に煮物とか酢豚、ざるそばが並ぶことはなく、パンが主食になるのは洋風のおかずと組み合わさったときだけです。
異国の主食は、いうなればお客さんなので、あらゆるおかずを従えるオールマイティーな力は与えられていないのです。これが、本物の主食であるご飯とパンの決定的な違いです。
主食にも、おかずにもなれないまま、パンが「軽食」にとどまっているのは、海外の料理や食材を和食のどこに位置づけるかについて、日本人が無意識のうちに明確な決まりをもうけているからと考えられます。
奥田 昌子
医師