脳出血による死亡…60年代には世界ワースト1位を記録
◆地道な調査で脳出血を封じ込めた
終戦後、感染症に代わって日本人の最大の死因になったのが脳出血でした。[図表]で確認しましょう。1950年代なかばから「脳血管疾患」が死因第1位の時代が続いています。
脳血管疾患は脳の血管が詰まる脳梗塞と、脳の血管が破れる脳出血、くも膜下出血などを合わせた呼び名で、脳卒中ともいいます。昔でいう中風ですね。
1950年代、60年代には、脳血管疾患全体の80~90パーセントを脳出血が占めていました。日本は脳出血による死亡率が世界でも高い時期があり、1960年代には世界ワースト1位を記録しています。なかでも東北地方には、成人の死因のほぼ半分が脳出血という地域もありました。
昭和27(1952)年、地道な調査を続けていた専門家が重要な報告を行いました。東北地方でも脳出血の少ない漁村に住む人は、新鮮な魚と海藻を多く食べ、飲酒量が少なく、雪がそれほど積もらないおかげで塩漬けしなくても食品が手に入り、冬も漁に出て体を動かしていたのです。脳出血を防ぐのに有効な生活習慣の発見でした。
魚についていうと、魚に含まれる動物性蛋白質のうち、とりわけ含硫(がんりゅう)アミノ酸といわれる成分がこの効果にかかわっていることが示されています。それに加えて、海藻から食物繊維を摂取し、アルコールと塩分の摂取をひかえて、しっかり運動することで、脳卒中の原因となる高血圧と動脈硬化を予防し、血管を強くできるわけです。
歴史を振り返ると、戦国武将の上杉謙信も脳卒中で死去しています。謙信は肉食を避け、魚もわずかしか食べず、酒を好み、塩分摂取量が多かったと伝えられています。病魔に倒れたのも、もっともなことでした。
これらの調査報告をふまえ、専門家らは現地に入って積極的に生活指導を行いました。すると、脳出血がとくに多かった地域で、わずか20年足らずのあいだに男性の脳卒中の発症率が3分の1近くにまで低下したのです。
この成功は、理論を柱とする欧米式の研究とは対照的に、観察と実用を重んじる日本的な研究方法の健在ぶりを示すものでした。
「不老不死の島」のモデルである日本…長寿の秘訣は
◆長寿世界一も数千年の蓄積があればこそ
さらに、日本を含む東アジアで多い胃がん、東アジアと中央アジアで多い肝臓がんも減少を続けています。これらの地域はピロリ菌や肝炎ウイルスの感染率が高いのですが、ピロリ菌除菌など予防法の普及により、がんの発生をかなり防げるようになりました。
昭和22(1947)年に男性50歳、女性54歳だった日本人の平均寿命は延び続け、昭和60(1985)年ごろには男性74.78歳、女性80.48歳に達し、ついに長寿世界一になりました。
平均寿命はその後も世界トップレベルを維持しており、医療や介護に頼らずに自立した生活が送れる期間を示す健康寿命も、世界保健機関(WHO)が2018年に公開した国別の最新データで世界2位です。
大陸の伝説に描かれた不老不死の島、蓬莱島のモデルともいわれる日本が、本当に世界を代表する長寿国になった大きな原動力の一つが和食でした。
1977年、アメリカで、望ましい栄養摂取量の指針を示す報告書、通称「マクガバン・レポート」が提出されました。
当時アメリカで大きな社会問題になっていた生活習慣病の拡大に歯止めをかけるために作られたもので、目標とすべきカロリーの総摂取量と、摂取カロリー全体に占める蛋白質、脂質、炭水化物のエネルギー産生栄養系バランスを示しています。簡単にいうと、蛋白質、脂質、炭水化物をバランスよく摂取するための指標です。
すると、この指針にかなり当てはまっていたのが当時の和食でした。これをふまえ、農林水産省は、昭和50年代にあたる1975~1985年ごろの和食を日本型食生活、いわば「理想の和食」と位置づけています。
それ以前の和食は炭水化物が多く、蛋白質と、とくに脂質が不足していました。地方によっては塩分の摂り過ぎも深刻でしたが、栄養指導や食料生産技術の向上、物流の発達などにより和食の欠点が次第に正されて、1980年ごろに栄養のバランスが取れたと考えられます。
近年は、シンガポール、香港、スイスなどの国と地域が平均寿命、健康寿命を延ばしていますが、そんななかで日本の長寿に意味があるのは、総人口が1億2000万を超える「大国」だからです。
集団の人数が増えれば増えるほど、全体を底上げするのは難しくなります。これだけの国家規模で世界有数の長寿国になったのは、健康になるために何を食べ、何をすべきか、古代から一貫して追求してきた無数の人々の努力と情熱のたまものといえるでしょう。
奥田 昌子
医師