高度経済成長を迎えたころには「外食ブーム」が勃興
◆経済成長が食卓を変えた昭和時代
「もはや戦後ではない」は、昭和31(1956)年度の『経済白書』に記された有名な言葉です。日本経済を回復から成長段階に進めようとの決意が込められていました。
予測のとおり、日本はそのまま高度成長期に入ると、国民の生活水準は急速に向上します。昭和35(1960)年には所得倍増計画が決定されました。それにつれて、日本人の食生活をゆるがす大きな変化がいくつも起こりました。一つは、テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機の、いわゆる三種の神器が普及したことです。[図表1]はそれぞれの耐久消費財を所有する家庭の割合を調べたグラフです。
国産の家庭用電気冷蔵庫は早くも昭和5(1930)年に完成していましたが、1960年代に爆発的に広がりました。食品を塩漬けにして保存する必要が薄れたおかげで塩分摂取量の低下に役立ったという側面もあります。
流し台も整備されて、調理の燃料はプロパンガスないし都市ガスが当たり前になりました。こうなると、それまで温度管理が難しかった炒め物や揚げ物を手軽に作ることができます。
こうして、肉や牛乳に多く含まれる動物性蛋白質と脂肪の摂取量がぐんぐん増え、それとは対照的に炭水化物の摂取量が減りました。
これに拍車をかけたのが外食ブームです。昭和45(1970)年ごろからファミリーレストランやファストフード店が続々と登場しました。インスタント食品、レトルト食品、冷凍食品も開発され、1980年代後半になると、冷えた食品を温めるための電子レンジが50パーセントの世帯に普及します。
江戸時代のように、その日の分だけ食材を買い求め、きっちり食べ切る食習慣は過去のものになりました。いつでも簡単に食事ができるのは便利ですが、食品を保存加工すると栄養成分が減少し、風味も食感も変わってしまいます。風味をおぎなおうとすれば、味つけがどうしても濃くなります。
食事の内容だけでなく、食べかたも変わりました。この時代になると、おかずを余分に作って、欲しければお代わりできるようにする家庭が増えました。生活が豊かになったからだけではないのです。
それ以前は上流階級でさえ、お代わりするのはご飯と汁もの、漬け物だけだったそうです。昔は料理を一度にたくさん作るのが難しかったうえに、一人一人がお膳で食べていた時代には、お膳の上に茶碗とお椀を一個ずつ、皿は数枚しかのせられなかったため、そこにあるおかずだけで満足する習慣になっていたからでしょう。
これが、ちゃぶ台とかテーブルであれば、スペースを気にせずに大きな皿をいくらでも並べられます。つまりは、食事に占めるご飯の比重が変わったということです。
ご飯は2000年にわたってゆるぎない主食の座にあり、「ただお命をつなぐものの第一は飯なり(
日本の医療制度は第二次世界大戦前から充実していた?
◆国民皆保険でこぞって健康に
終戦を迎えるやいなや、政府は健康政策に取り組みます。早くも昭和22(1947)年には、会社や自治体、学校などの事業所に対し、働く人に健康診断を受けさせることが義務づけられました。昭和36(1961)年になると、誰もが一定の自己負担で必要な医療を受けられる国民皆保険制度が始まります。
ここで確認しておきたいのは、日本の医療制度が第二次世界大戦前からすでに成長期にあったことです。国民皆保険制度ができたのは終戦後でも、戦前には、すでに70パーセントの国民に健康保険が適用されていました。
性別、生まれをとわず初等教育を行った寺子屋と同じく、健康になる機会をできる限りすべての国民にもたらそうとするのも、西洋と異なる日本の伝統の一つです。
この時代に起きためざましい進歩は、結核をはじめとする感染症による死亡率が下がり、それとともに幼い子どもの死亡が急速に減ったことです。
予防接種に代表される予防法や検査法の開発と普及、有効な治療法の発見が相次いだことで、1950~1960年代前半を中心に日本人の平均寿命が一気に延びました。[図表2]は小さな子どもの死亡率と、日本人の平均寿命の変化をグラフにしたものです。
1歳までに亡くなる子どもの数は、昭和22(1947)年に1000人あたり76.7人だったのが、昭和55(1980)年にはその10分の1にあたる7.5人になり、平成29(2017)年には1.9人まで減っています。
奥田 昌子
医師