内定が出た学生とそうでない学生の「決定的な違い」
外資系コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社を決めた東大生の男の子と話をする機会がありました。マッキンゼーは、世界で最も入社するのが難しいと言われている会社の1つです。
その彼に、私は「なぜ、マッキンゼーに入社できたのか?」と聞きました。すると「マッキンゼーに内定が出た学生とそうでない学生には決定的な違いがある」と言うのです。その違いを尋ねると、彼はこう答えました。
「マッキンゼーに内定が出たメンバーは、みな志を持っているんです。しかし、入れなかった人たちは、マッキンゼーに入社することをゴールにしていたんです」
マッキンゼーに入ることをゴールにしている人は、マッキンゼーに入れない。その言葉を聞いた瞬間、痺(しび)れました。きっと、マッキンゼーは会社をいい意味で踏み台として、社会に価値を生み出せる人間になってほしいと若者にメッセージを送っているのだと思います。
子どもの頃は、みんな、将来なりたい職業を考えていたように思います。つまりは、「誰にどんな価値を届けたいか」という志に通ずる部分を、みんな考えていたのです。しかし、いざ就職を考える頃には、どこの会社に入社しようか、所属を考えるようになってしまいます。
たとえば、プロ野球選手にとって、どこの球団で野球をするかは大切なことかもしれませんが、それ以上に、プロの舞台で、いかに活躍し、成績を残し、チームとして優勝を目指すか、のほうが大切なはずです。
ビジネスの舞台は、社会であり、地球です。どこの会社に所属するかの前に、「この地球上で、誰に、どんな価値や感動を提供できる人間になりたいのか」を考えた方がいいのではないでしょうか。
この点を明確にしないまま、所属先だけを考え、なんとなく社会人になってしまうと、働くことに意義が見いだせず、惰性で働くことになります。〝就職〞ではなく〝就社〞してしまっているのです。就職して〝社会人〞になったはずが、会社にうまく居座るための働き方をし、就社する〝会社人〞が日本では多いのです。
自分が今しているのは、「仕事」か、「志事」か
マッキンゼーに入社をした東大生と話したときに、得た気づきがあります。それは、志を持ちながら道を歩めるか否かで、生き方が変わるということです。
たとえば、大学受験で、偏差値が合うから、名が知れているから、国立だからといった理由で学校を選んだ人と、「自分は絶対に脳外科医になって、人の命を救える医者になりたい」という志を持ち、脳外科の権威がいる大学の医学部を選んで受験した志ある人とでは、大学生活の過ごし方も変わるはずです。
もしかしたら、大学に入ることを目的にした人は、単位取得や卒業に焦点が当たっているかもしれません。一方、医者を志し大学を選んだ人は、良い医者になるために、知識の習得、技術の向上に焦点を当て挑戦を重ねるはずです。
大学は4年でピリオドですが、その後出る社会は40年近いロングランです。何を志し、その道に一歩踏み出すかによって、その先の未来も大きく変わってくるのです。
ただ、断っておきたいのは、この大学受験のたとえは、良い悪い、正しい正しくない、という話ではありません。なんとなく決めた大学で得た出会いで、その後の人生を決める志を見つける人もいます。志を持って学業に取り組んでいたけど、挫折することもあります。
そして、そもそも、どんな仕事だって、必ず誰かの役に立っているものです。とはいえ、全ての仕事が、難しい手術を成功させた医者みたいに、相手に心からの感謝をもらえたりするものではないことは事実です。そのため、存在意義を感じにくい人も多いかもしれません。しかし、本当はどんな仕事でも、志を持ち、「しあわせに、はたらく」ことはできます。
たとえば、飲食店で働いていたとして、「美味しいね」や「ありがとう」を言ってくれるお客様がいないと、充実感は感じづらいものです。また、災害に遭ってしまい、家でご飯が食べられない人に炊き出しをしたら、涙を流して喜ばれることもあるでしょう。そして、そんな人たちを見たら、「美味しい食事をつくって、人を喜ばせたい」という志が生まれることだってあるかもしれません。
ですから、あなたが今どんな仕事をしていても、なんとなく大学で勉強をしている学生でもいいんです。自分の見方や、考え方を変えられれば、どんな場所でも志を持って、成長することはできます。志を持てば、世界が変わります。
被災地への炊き出しを経て志を持った人は、お店でもお客様に感謝される機会が増えるはずです。それは、お金をもらうためにする〝仕事〞と、誰かに役立つためにする〝志事〞とでは、明らかに違いが出るからです。逆に言えば、「しあわせ」や充実感を得られない原因は、仕事を作業として行い、志を見いだして働けていない自分自身にもあるということなのです。
保育園児は、「知らない職業」を将来の夢にできない
では、志をどのように見いだせばよいのでしょうか? 以前、保育園を巡った際に、3歳〜5歳児のクラスの教室の壁に、園児たちが将来なりたい職業を絵と文字で書いたポスターが貼られていました。
興味深く眺めていると、サッカー選手、野球選手、ゲームクリエイター、パティシエ、AKBなどいろいろと書かれていました。しかしながら、私の職業「人事コンサルタント」は1つも見当たりませんでした(笑)。
理由は簡単、知らないからです。園児たちにとっては、聞いたことも、見たこともない職業なのです。
もしも、小さいときのクラブ活動に「人事コンサルタントクラブ」があり、AKBの出演するテレビ番組やパティシエの特集番組ではなく、「人事コンサルタントの問題解決ドキュメンタリー番組」や「人事コンサルタントが主人公のドラマ」が放映されていたら、「人事コンサルタントになりたい!」と想像を膨らませる子どもも出るはずです。
人は出会ったこともないものから、イメージすることは難しいものです。未来は真空状態からは創造されません。つまり、考えるだけでは、絶対に見つからない志もあるのです。あなたという人間の可能性を最大限に発揮でき、夢の実現にもつながる最高の志があったとしても、そのきっかけに出会えなければ、あなたは一生その志を見いだせない可能性が高いです。
ちなみに、私の子どもは「人事コンサルタントになりたい!」と志す可能性があります。それは、親である私が、この職業に誇りを持ち、価値を創造し、人生を楽しんでいるからです。両親の職業を尊敬して、「自分もこんな人間になりたい」と志を持ち、同じ職業を目指す子どもがいるのは、一番身近な存在である親をきっかけに、その職業に出会っているからなのです。
「どこを目指して生きるべきか」指針を得るには…
私の経験を振り返ると、志との出会いは偶然でした。私は大学時代、イベントプロデューサーになりたいと考えていました。それから、大学院にも進学して、「イベント学」という学問を構築したいと思っていました。
そんなとき、たまたま母親の誘いで行ったキャンプに参加していた、ある企業の社長と意気投合し、食事に誘われました。喜んで応じ、後日食事をすると、「ウチで働いてみないか」と言われたのです。その企業は、人材教育のビジネスをしていました。イベント企画をやりたかった私は、大学院に進み、まだまだ勉強したいという思いもあり、ありがたく思いつつもお断りしました。
しかし、その後もたびたび食事に誘われ、入社のお誘いをいただき、ついには「分かった、近藤くん。イベントプロデュースをしながら、大学院で勉強し、ウチで働けばいいじゃないか」と言われました。私も、「全部同時にできるなんて、ありがたい」と素直に思い、「ぜひ、働かせてください」と即決しました。これが、私の就職活動における、最初で最後の意思決定でした。
そして、その会社で新しいサービスや事業をつくり、キャリアを積む中で、自社の採用を担当することになった結果、人事コンサルタントとしての私が生まれたのです。その会社で違う経験をしていたら、今の会社もなかったでしょう。ただし、完全に運任せ、という話でもありません。
確実に言えるのは、私のケースのような出会いを与えてくれる人の多くは、私よりも人生の経験を積み、多くの人脈やアイデアや資金を持って、自分よりも先を歩んでいる先輩方だということです。
そんな凄い人たちの話を聞いたり、共に過ごす機会を得ると、そのプロセスの中で、自分の未来の可能性を広げるチャンスをもらえるのです。そして、「どこを目指して生きていくとよいのか」という、自分の未来の指針が見えてきます。同じ会社で働くにせよ、誰を見て、誰の話を聞くかが大事です。
私は、成果を出している先輩や役員たちとのコミュニケーションにできる限り時間を割いていました。考えるだけではたどり着けない、未知の素晴らしい志に出会うには、自分の知らない世界を知る人たちと触れ合うことが大切なのです。
あなたもぜひ、人生を変えるかもしれない出会いがありそうな場所に足を伸ばすことに、自発的かつ、積極的になってみてください。
近藤 悦康
株式会社Legaseed 代表取締役