「自己アピール上手な人」だけが評価されていいのか?
情報の公開は本人にとってもメリットがあります。
これまでの会社では売上などの定量的な成績は誰の目にも見えるものになっていましたが、努力や性格などの定性的な成績は、上司からの属人的な評価に偏っていました。
そのために、甘い評価をする上司についた部下のほうが、厳しい評価をする上司についた部下よりも高く評価されがちでした。しかし、実際のところ、厳しい上司についた部下のほうが長期的には伸びる傾向があって、会社にとっても有益な人材になります。それなのに、短期的には、甘い上司についた部下のほうが給料も高くなって優遇されることが多いのです。
このような不公平は、部下に対しての定性的な評価が、いつも一緒にいる上司という一個人に任されているからです。ライフログが誰の目にも見えるようになれば、より公平な評価ができるようになるでしょう。
現代は、コミュニケーション力が高く、自己演出に長けている人、自己アピールの上手な人がどうしても評価される傾向があります。それは、世の中の仕組みがアピールした人勝ちになっているためです。コツコツと頑張って、見ている人は見てくれると黙って仕事をするよりも、その時間を自己アピールに充てたほうが高く評価されるのだとしたら、多くの人がその道を選ぶのは仕方ない面があります。
しかし、自己アピールが下手な人のなかにも、仕事で実績を上げている人は数多くいます。そのような人を見つけ出して正当に評価するというのが、私の夢であり、ライフログに期待していることです。
ネットショッピングのアマゾンができてから、ロングテールの商品群が売れるようになったように、あるいはSNSができてから、メディアには出てこないけれども面白い人がたくさんいることがわかったように、ITの進歩とインターネットは、世の中に埋もれていた多くの価値に光を当ててきました。
しかし、それはまだまだ不足しています。アマゾンでもSNSでも、情報が多すぎて埋もれてしまうモノやヒトは数多くありますし、そもそもSNSで発信するのも自己アピールですから、不得意な人はいくらでもいるのです。
そのように無言で生きている人でも息をして生活をしている以上、ライフログは黙々と積み重なっています。毎日素振りを欠かさない人とか、ニッチでマイナーな趣味を一人で極めている人とか、たまたま周囲の狭い村社会や家族と合わないために引きこもってしまっている人とか、そういった才能を見つけ出して光を当てたい――その人の能力や性格を正当に評価して就職や結婚につなげることが、私がライフログを通じて最終的に成し遂げたいことです。
エドテックの話からずれてしまったように見えるかもしれませんが、教育が最終的に成し遂げたいこととは、それぞれの生徒がそれぞれの人生を幸せに生きられるようになることです。受験合格で終わる教育は、真の意味での教育とはいえません。就職や結婚、さらにはその先の人生を幸せにすることが、私の考える教育の目的です。
山田 浩司
株式会社フォーサイト 代表取締役社長